第一章  不運

そのとき工場には、三十五人の女工だけでなく、賄(まかな)いや管理、事務職員など、四十三人の社員がいたが、助かったのは十人だけだった。

女工は三十人も犠牲になってしまった。みんなまだ十代、二十代の若さだった。

楓も、親しかった晴子(はるこ)や美奈子も工場の外まで逃げることができず、亡くなってしまった……。

助かった五人の同僚のうち、入院するほど怪我がひどかったのは、わたしと鈴花(すずか)だった。

わたしは全身打撲とはいえ、次の日には起き上がれるようになったが、鈴花はわたしが今日、隣の病室を訪ねたときも、ベッドに横たわっていた。話すことはできたが、頭には包帯が巻かれていて、痛々しかった。右足も骨折していた。後遺症の心配はないが、一ヵ月ほど入院しなければならないという。

他の三人のうち、こずゑと由香李は入院するほどの怪我ではなく、すでに実家へ帰っていた。

いちばん軽傷だったのが、ミホだった。彼女は擦り傷打ち身程度だったという。

ミホは怠けているわけではないが、真面目に働く気がないようなところがあって、工場の中でも浮いた存在だった。

本人に悪気はないのだろうし、気づいてもいないのだろうが、態度がぞんざいで、人を食ったような話し方をするので、みんなからはあまり好かれてはいなかった。でも彼女は二十七歳で、同僚たちの中ではいちばん年長だったので、あからさまにきらわれてもいなかった。

そのミホだけが、軽い傷で助かっていた。

 

落雷事故のあと、予想はしていたが、工場は再建されず、わたしは八月末で解雇されることになってしまった。首都豊殿での拠り所を失い、落ち込み、それ以上にこれからの不安もあったが、思わぬ救いの神があらわれた。

病院に、「霧坂(きりさか)のおばさん」が見舞いにきてくれたのだ。

霧坂のおばさんは母の幼なじみで、結婚して黍良から豊殿に出た人だった。

わたしは子供の頃から母に、「霧坂さんち」のことを、いろいろ聞かされていた。一家の写真も見たことがある。夫は造船会社で働いていて、息子が四人いる。長男は警察官、次男は外国航路の船員になった。

母によると、わたしが四歳の頃、おばさんはわたしと同じ歳の長男を連れて、家に来たことがあるという。わたしにはそのときの記憶はなかったので、おばさんとは「初対面」だったが、懐かしいような親しみを感じた。