悪くなってしまった人をここで待つのはもうやめよう。悪くなってしまった人の看護を全身全霊でやったとしても、「あたってしまう」自分には悲惨な看取りと家族の慟哭ばかりが積み上がる。それならば、病院に行かなくて良いように生活習慣を改善していつまでも健康に、家族とその人なりの人生を幸せに生きてもらえるようなサポートをしようと決めたのだ。

こうして私は臨床を去り、保健師として公衆衛生の世界に身を投じることになった。

けれど、その中で、私が看護師時代に思っていた「生活習慣は簡単に改善できるはず」という認識は、実は思い上がりも甚だしい無知の骨頂の認識であるということを、その後の保健師人生において嫌というほど思い知らされることになる。

保健師に転職して私は大規模な県型保健所に配置された。早々に先輩保健師から「あなたは看護師経験があるから、すぐにでも保健指導はできるわね」と言われ、早速、地域の住民グループへの健康教育(出張講義)を行うことになった。

対象は壮年期の女性ばかりの約30名、「健康に生きるための生活習慣」というテーマで健康教育をしてほしいとの要請だった。

私はやる気満々、準備万端で、教育媒体などもふんだんに取り入れながら「いかに生活習慣の改善が必要か、具体的にどのような生活習慣が好ましいのか」など、約45分の健康教育を行った。

途中、笑いも取れたし大きな拍手も得て、「初めてにしては保健師として上出来だったのでは⁈」と内心、有頂天になった。同席してくれた先輩保健師も「良かったよ。上出来! うまく伝わったんじゃないのかな」とほめてくれた。

その直後、グループの代表者から「では、健康に生きるために○○さまにみなさんでお祈りしましょう。祈ることで私たちは健康に幸せに生きられるのです!」という号令が掛かり、参加者全員が熱心に呪文(?)を唱え始め、延々と祈りは続いた。

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