TOKYOリバーサイドストーリー もんじゃ焼き編

二〇一二年五月二十二日、東京スカイツリーが華々しくオープンした。

僕が生まれ育った東京の東部、墨田区に忽然と現れた巨大な、電波塔。親父の工場の路地から、それを見上げると、その圧倒的な存在感が際立つ。景色としてはきれいなのだろうが、なぜか僕は複雑な気持ちを、立った当時も、今も、禁じ得ない。

街を歩けば、小さな工場ばかりで、それもやっていけなくて、駐車場や宅地、マンションに変わっている。商店街もさして流行の店などあろうはずもなく、少し駅から離れた大通りに面した店は、シャッターを落としたままのところも多い。

そのような街にクリスタルのような輝く塔が出来たのは、まるで日本の格差社会の象徴のようにも思えた。何十年かすれば、一つの風景に溶け込むのだろうか、それとも隅田川の上に架けられた高速道路のように、いつまでも溶け込まないのだろうか。今のところ、僕の中では別々の風景だ。

僕が生まれたのは東京都墨田区業平で、スカイツリーが立ったところとはとても近い。元々あのあたりは鉄道の車両基地のようなところで、周りには何もなかった。スカイツリーが立ったところは、正確には押上だがほぼ向島で、向島もずいぶんすたれて久しい。江戸時代には美しかったであろう隅田川は、桜並木の上に高速道路が出来て、川と桜並木の景観を台無しにされてしまった。

昔は料亭も多くあり、ずいぶんと芸者さんもいたりして、街には彼女たちの笑い声がよく聞こえ、人通りも多く、賑わっていたと聞くが、今では彼女たちの姿を見るのは珍しい。

商店街はほとんど壊滅的で、シャッターを下ろしたまま、買い手もつかない店がそのままになっている。ぽつりぽつりと、それでも地元の店があるのだが、みんなどうして続けていられるのか不思議なほどだ。小さい工場もかなりあったけれども、やっていけないところが多く、少しずつマンションとかに変わっていった。

僕は、そんな街に生まれた。僕の家は小さな印刷工場だったが、年々人も少なくなって、今では父と従業員一人で細々とやっている。