「あんたと暮らしてた頃は、パパと一緒に中華街で喫茶店をしてたんだよ」

それで、思い出した。

中華街の近くの公園に行こうとして、車が怖くて行けなかった記憶。

夢だろうと思っていたけど、あれは現実だったのだ。

私はあの時、あそこにいたのだ。

あれは、信じていい事実なのだと思った。

色々なことが走馬灯のように頭をよぎる。

なにがなんだかわからなかった。

ママは「長崎にいたら、パパと離婚ができなかったんだよ。だから大阪に出てきた。けど、3歳だったあんたを連れて女でひとりで大阪に行くのを長崎の親戚みんなが反対してね、あんたを新田家に預けたんだよ」

「あの頃はパパが隙を見てはあんたを連れ去っていってたから、連れ去られても警察に届けられるように、新田家の養女にしてたんだよ」

「あたしもあんたみたいに親が離婚して、父親に引き取られて、でもその父親が自分の姉さんにあたしを預けて蒸発したんだよ。物心ついてたあたしは傷ついたし、ひどくグレて暴力団員にまでなった。あんたにはそうなって欲しくなかったから、みんなでこの事情をずっとひた隠しに隠してたんだよ」

「近所の人からバレないように遠くの学校に通わせて、親戚にも絶対に言わないように取り決めてたんだよ。色んな書類からもわからないように保険証の表記も変えてもらってたんだよ」

その頃の保険証は紙媒体で、家族の名前や続柄は手書きだった。

個人情報など緩かった昔は、市役所に勤めるお父さんのツテで社会保険事務所に頼み込み、本来続柄が「養女」と記載される部分を「二女」と記載してくれてあったのだ。

「でもね、離れて暮らしててもあんたを忘れてないと、今日、この日に証明したくて、あんたの養育費を毎月きちんと払ってた証を見せたくて、養育費の振込用紙の控えを15年分置いといたんだよ」と言ってママは大量の振込用紙の山を取り出し、泣き出してしまった。

全ての点が線になって繋がった感覚だった。

全てが、腑に落ちていった。

と同時に、なにもかもがわからなくなり、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

実父に捨てられたママは父方のおばさんの家で、その家の3人兄妹の末っ子のようにして育った。

ママを育てたのは私を可愛がってくれたおばあちゃんだ。

だからおばあちゃんはあんなに私を可愛がってくれていたのだ。

ということは、私は新田のお父さんとは血の繋がりがあるけど、新田のお母さんとは血の繋がりはない。

「なんでもっと早く引き取ってくれなかったの」と聞くと「新田のお父さんがうんと言ってくれなかった。かおるは物じゃない、高校卒業まではうちで育てる、の一点張りだった。でも新田のお母さんは小学校を卒業する時にはもうあんたを育てるのを嫌がってあんたを手放したがってたよ」と言った。

だからお母さんはあんなに私に冷たかったのだ。

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