第3章 貧困に耐えた中学時代

父の買い物

父は相変わらず自分の世界の中で、子どものような生活をしていました。妹が乗っていた三輪車に乗ろうとしたり「何か買いに行きたいな」と言っては、お金を欲しがったりするのです。

昔の自分をすっかり忘れたかのように、いつもにこにこしていて、食事を作っている私が傍にいるととても安心していました。何よりも、家族に世話を掛ける事も無く過ごせていたのが幸いなことでした。

今度の家は庭がとても広いので、日中は毎日畑仕事の真似事をしたり、草むしりをしたりして時間を潰していたようです。母が帰って来ると茄子炒り(味噌味の茄子の油炒め)の作り方を私に教えるように、とリクエストして母の味を懐かしがったりもしました。

ところが暮も押し詰まったある日の事でした。学校から帰ると、大変な事が起きていました。嬉しそうに紳士服一着分の布を抱えていたのです。自分で買ったと言いながら、もちろん代金はまだ払っていません。困った事になったと思いつつも、自慢顔で嬉しそうに話している父を、とがめることは出来ませんでした。

それでも母が帰宅すると散々に叱られ、大きな身体を小さく丸めていました。売りに来た方も、会話をすれば父の状況は分かるはずなのです。それは悪徳商法に掛かったような状況でした。

その布は紺色の柔らかい布でした。私は大晦日の夜、ふとその布の事を思い出し「妹にお正月に着るズボンを縫ってあげよう」と考えました。もちろん手縫いですが、布が柔らかいので針の通りも良く小さなかわいいズボンは簡単に縫えました。

学校の家庭科の授業で、縫い方を教わっていたのです。妹の寸法に合わせ、型紙を作り一晩で苦労無く縫えたのです。妹は元日の朝、喜んでそのズボンをはき、弟と一緒に学校に走って行きました。

当時の学校は、元旦には新年のお祝いの式があり、帰りには各自にミカンが二個ずつ配られました。私の中学校も同じでした。私が小学生の時、正月の初荷で父がミカンを撒いて走った事に比べたら、わずか二個のミカンですが嬉しいおやつでした。

そんな元日には、友達は綺麗な洋服を着て新しい足袋を履いて行きます。妹に新しいズボンを縫ってあげられて、私には嬉しいお正月でした。