【前回の記事を読む】東日本大震災発生当日、老人ホーム施設長だった私が一番大切だと判断したこと

第1章 入居者と暮らしを創る30のエピソード

私は、震災の当日に老人ホームに到着し、入居者の皆さんの居室を回りながら、お声掛けをしました。高橋さんの居室を訪れると、車いすの高橋さんは、私の顔を見るなりボロボロと涙を流されました。

私は、高橋さんの震える手を、そっと握りました。これが自宅でひとりぼっちだったのならばどうなったのでしょう。

老人ホームであれば、職員も、そして入居者の仲間の方々も一緒です。しかしながら、地震発生直後、電話も通じにくくなっており、ご家族に施設内の状況や入居者の皆さんの状況をお伝えすることができませんでした。

未曽有の災害、入居者のご家族の皆さんが心配されているのは当然のことです。私は、入居者の皆さんの対応の割り振りを行いつつ、手分けして入居者の家族の皆さんには電話を掛け続けました。施設内の状況や入居者がお変わりないことについて、必要な状況をお伝えしました。

当然、高橋さんの娘さんにも電話を入れました。施設でのお母様の状況を私がお伝えするとほっとされ、「もし、これが自宅で母がひとりだったらと思うとぞっとします」とお話になりました。

高橋さんが、老人ホームに入居されたのも骨折が原因で手術して、ご自宅での生活が難しいという理由からでしたが、この時点で高橋さんが老人ホームに入居していたことは、何かのご縁ではなかったかと思います。

実は、この高橋さん。その後、お身体の状態も落ち着き、その年の5月下旬には自宅に戻られました。私が自宅まで高橋さんをお送りし、玄関での別れ際に、大震災が発生した当日のような「震える手」ではなく、「笑顔で私の手を力強く握って」くれました。

そして、約1年後のある日、高橋さんの娘さんから連絡がありました。実は、高橋さんが亡くなられたとのことでした。私はお通夜に参列して、高橋さんをお見送りさせていただきました。

実際に、高橋さんと私の関わりは、決して多くはなかったかもしれません。しかし、その僅かな時間の中で高橋さんを大震災から守ることができたこと、そして自宅に戻られ、娘さんと二人で過ごす時間のお手伝いができたことは、本当に良かったと思います。

11日目  人の縁が助けてくれる

伊藤さん(仮名)も私にとって非常に思い出深い入居者様のひとりです。この伊藤さんは現役時代、大学の先生でした。

さて、伊藤さんが非常に発言力の強い入居者であることは、他の職員から聞いていました。私がこの老人ホームに配属されるにあたり、まずは伊藤さんにご挨拶をしなければと思いました。