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登山をやり出すと、川の源流の最初の一滴が気になり、探りたくなる。即物的満足の世界でもあるが、その清々しい満足感はたまらない。一滴とともに、海まで辿りたい気持ちにさせられる。

さて、日本の詩歌と付き合いを始めると、日本という国の「うた歌謡の始源・最初の一滴」をきちんと想像し尽くしたいと思うようになる。そんな思いを募らせること数十年であるが、現状の方法論も到達点も、未だしのレベルである。

江戸の国学者はもちろん、1980年代くらいまでは、周辺学の比較文化人類学や神話学等の知識もなく、「記紀万葉オンリー屋さん」たちは、記紀神話=日本列島の歴史、万葉集=日本の最初のうたとして、狭い了見の自説を展開してきた。これでは、どうしても万事「もの」にも「こと」にも届かないのである。

また、これに、昔・今の仕分けが苦手な民俗学を加えても、事態は変わりそうにない。諸説・所説が一部ゴミの山になっているのは、ご存じの通りである。

今後は、脱境界の横断思考が求められるのであろうが、将来、あるいは国文学者・研究者の研究ではなく、人骨の頭蓋骨や顎の骨の分析で、日本列島における倭(和)語の発生時期が分かるかもしれないし、DNA分析で、文化の変容に伴う遺伝子配列の変化が見つかれば、そこから、うた歌謡の発生時期を特定できるかもしれない。

さて、それはさておき、現時点でこの列島における太古のうた歌謡の最初の一滴から今日の歌に至る壮大な大河を想定すると、万葉集の大半の歌は大河の「中流域の歌」だと解るが、国文学者や研究者の大半はそれを「日本の歌・事始め」と、営々と説き続ける。ならば、詩歌を食い散らす我が身の内部の声に耳を傾けつつ、万葉及び記紀以前の始源をただひたすら想像してみるという我流を貫くしかないのかと思い至る。

私の関心は、万葉集冒頭部分を飾る「権力よいしょ歌」ではなく、この日本列島という極東の島国において遥か太古、庶民・大衆のうた歌謡がどんな形で始源の産声をあげたのか?その一点に尽きる。しかもその始源が、権力発生前であることも、私にとって極めて重要である。日本列島に住む多くの者が、等しくうた歌謡を、さらに定形のものを口にするようになるには、気の遠くなるような「庶民時間の蓄積」が必要だったはずである。

もし、日本の歌謡の始源を、「もの」からではなく、「正しく想像(研究ではない)」できれば、明日に死すとも構わないと思うようになってしまっている。私の人生の最後の課題である。

しかし、要の「いつ」については核心の周りをグルグル回りするのみで、能力の有無か自信の有無か不明ながら、誰も時期断定の危険は犯そうとしない。満足のいく解答と説明を成しえていない。おそらく、遺跡や書籍の分析でどうかなる問題ではないのである。また、万葉集のことばの欠片を顕微鏡でいくら丹念に眺めても答えは見つからない。

やはり、2000年を通底する並外れた想像力が必要なのであろう。

記紀万葉の学者は星の数ほどおられるが、皆さん「隔靴掻痒かっかそうよう」の名人である。この問題について唯一誠実だったのが、吉本隆明氏だけである。ただ、「いつ」について、根拠も示さずいきなり一行で断定され、未完のままにこの世を去られた。日本人として、誰かが時期断定の先陣を切らねばなるまい。きなり一行で断定され、未完のままにこの世を去られた。日本人として、誰かが時期断定の先陣を切らねばなるまい。

この項はこの程度にして、稿を改めたい。この章の末尾で、恥ずかしながら、私の50年の集大成の解答をそっとご提示したい。私の墓標の意味も込めて。

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