一年一組

「授業、始めるよ」

昼休みが終わるチャイムとともに入ってきた樹先生の声が教室に響き渡る。その声にかぶさるようにしてガタゴトと椅子を引く音が教室のあちこちからした。まだ話し足りない秋吉は不満げな顔を覗かせたが、すぐに自席に戻っていった。

まだ、着席していなかった生徒たちが、それぞれの席に戻る。さっきまで不満げな顔をしていた秋吉は新しいおもちゃを見つけたみたいに目を輝かせた。悪い予感しかしない。

「樹」

「樹先生」

「すんません。樹先生」

「なんですか」

ここまではいつも通りのやり取りだった。僕はもう秋吉が調子に乗らないかひやひやしている。

「そういや先生の奥さんが学校に来たってほんとすか? 二組の奴らが言ってましたけど」

先生は咳き込んだ。

「二組の誰ですか」

咳の間から苦しげに質問を返した。

「全員見たらしいっすよ。え、それより先生、質問に答えてくださいよ。奥さんはなんで来たんですか」

「忘れ物があったのでわざわざ届けに来てくれたんですよ」冷やかすような歓声が上がる。

「また来てくれますかね」

「会ってみたいよね」

他の生徒までもが秋吉に同調している。

「いや、今回が初めてですからね。もう来ないんじゃないですか。はい、もういいですか。授業始めますよ」

先生は手を叩いて終わらせようとしたが、生徒たちの会話は続く。奥さんは迷うことなく、職員室にたどり着いたという。うちの職員室は分かりにくいところにあるので大体迷うのに。これは慣れてますねと御多分にも漏れず、秋吉が冷やかしていた。

先生は本当に初めて来てくれたんですからと少し迷惑そうな表情だった。ついでにいうと美人さんだったらしい。

僕は二組の知り合いが宮園しかいない。二組の全員が目撃したのなら、宮園もきっと目撃している。後で話を聞いてみようかと始まった授業を夢うつつで聞きながら話し掛ける口実を考えている自分が愚かしく感じた。

放課後になって僕は一人で廊下を歩いていた。開いた窓から春風が流れ込んでいる。鼻をくすぐられて、くしゃみをする。鼻を押さえながら顔を上げると、廊下の突き当たりの教室のドア、その小窓に宮園の姿が見えた。

他の教室と違い、その教室は空き教室で、廊下側の窓がないので暗く鬱蒼としている。後ろ姿だけで宮園と分かるその距離は五メートルくらいなのに、ひどく遠くにいるように思う。

「宮園」

距離を取ろうと思ったのに気が付けば声をかけていた。

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