子どもたちとともにできうる数少ないことを愛でながら生きている私たち家族……。

もう歩けてもいいのにとか長男が大好きな肩車ができなくなってしまったとか手をギュッと握り返してくれなくなったとか負の感情だけで夫に対して嘆くより、何より今どうすべきかを毎日毎日目の前の一瞬を考えるようにと誓った。

神にすがるのではなく、受け入れ難い気持ちと共存し、受け止めながら現実を生きると決意した。

子どもたちが一番何が起きてるかわかっていなかったのに、三男のことを歩けるようになればいいねと話す長男や次男にどれほど支えてもらったか。そしてどれだけかけがえのない子どもたちに荷物を背負わせたか。

入院中に三男が歩き出すところを間近で見られるだけでも幸せだと噛み締めたひととき。頑張ってないのは私だと感じてようやく何してるんだろうと、一気に思考が変わった。

成長か戸惑いか

子どもたちの成長を思い出しながら頑張っていない母になっていたあの日々。今までどんな成長をしてきたのだろう。

長男は、保育園に行くのも朝早く、夕方も延長保育だった。夫の仕事が終わるのは昼下がりだから起きたら迎えに行く。16時か、18時あたりか。長男が2歳まではアパートで、そばに電車が走っていていつものように私が退勤から帰宅するまで見に行くか、家のソファで寝ながらゲームして、二人でソファに添い寝スタイルで長男を腕枕がお決まりだ。

長男にとっては、お兄さん的な存在になっていった。同い年の子と比べても、長男は頭ひとつ分大きく、私が抱っこする期間も短く、夫に抱えられることや、肩車が多かった。

抱っこと甘える相手は夫だったこともあり、次男坊の足の不都合さや2歳の年齢差から長男は夫が抱いて、ギプスを巻いた次男は私がというスタイルだ。

長男はますますお父さんの横にいるように。寝る前は、私が絵本を何冊も飽きるまで読んでいた。

長男を溺愛する夫は毎日のように車のおもちゃを買い与え、どんどん台数が増えていった。

長男の性格は、愛情いっぱいでも、十分満ちることなく溢れない無限タイプ。あまり泣かずにニコニコしている次男と異なり、手間をかけてもかけても、おもちゃを買い与えても、いつもムスッとしてる子だった。

ただ正義感がとても強く、自発性もあり、積極性もあり、自我がしっかりとした子だった。甘え方があまり上手とは言えないのも、次男が不都合な足で生まれてきたことや純粋に兄貴として次男を守りたいといった意志の強さから甘え下手なのだろう。

ふたりがともに保育園へ通園しだした頃には長男の責任感は炸裂していった。次男と行けるようになり本当に嬉しそうだった。

さらに次男の保育園の日誌やコップを用意するなど長男が世話をするよう促していったことも責任感が炸裂した理由の一つでもある。次男が話せるようになり、よちよち歩きから卒業すると次男の性格も天真爛漫さがさらに芽生えていった。

そうなると、真面目に責任感を身につけてきた長男からすると、一気に水と油。次男をちびちびいじめてしまいがちな長男になっていった。

 

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