第二章 晴美と壁

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『円い町』へ行く前日になった。

家族水入らずで晴美の晴れ姿を見るように、「晴美、頑張れ!」とささやかな壮行会を開いてくれた。テーブルには質素ではあるが晴美の大好きな鶏の足(ザンギ)が山盛りいっぱい大皿に盛られていた。

「母さんは、晴ちゃんが幸せになることだけを祈っているよ」

「父さんは、晴美が笑顔で人生を送ってほしいと願っているよ」

「兄さんは、晴美が働いていたときのあの気概を取り戻してくれることを思っているよ」

「姉さんは、晴ちゃんがまた元気な姿になってくれることを期待しているよ」

家族四人はそれぞれ晴美に心からの言葉を掛けたのである。

晴美は嬉しかった。目頭に涙が滲み、次第にそれが膨らんで、一滴の涙となって畳の上に落ちた。

晴美は品川のバスターミナルから夜行バスで大きなリュックサックを背負って出発した。父親から詳しい説明を訊き、地図を書いてもらっていたので、難なく『円い町』へ着いた。暦の上では四月下旬であった。咲きこぼれている植物たちはどこを見てもにこにこ笑っていた。

『円い町』は瀬戸内海に近い小さな町であった。晴美の住んでいた町は山に囲まれた平地だったので、海など見たことがない。瀬戸内海の海ってこんなにもの静かな凪なのか。それにコバルトブルーの色にもその美しさに思わず驚嘆の声を上げた。初めて見るサファイアの宝石のようだと晴美は感激した。

しばらく佇んで見入っていた。心を整え、そして役場へ行った。そこはとても珍しい建物であった。屋根には円い瓦を葺いている。その色はショッキングピンクで、壁はホワイトである。まるで日本の国旗をイメージさせる。

入口には、〝『円い町』へようこそ〟とブルーで書かれた立て看板が青空へ向かって誇らしそうにヒューとスマートに(そび)えていた。

役場の中へ入ると、案内役の男性が一人いた。にこにこと笑顔のその男性に晴美は逆に硬い表情になった。

「私は、私は東京のO市からはるばる『円い町』の町民になりたくてやってきたのですが――。どう、どうすればいいですか」

その声には吃音が少し混ざり、四辺の空気を震わせた。