一 教員の”信念”と“不安”

どの学校にどんな問題教員がいるのかを細かく知っていなければ、気づかないうちに、欲しくないタイプの教員を抱えることになる。

初めて校長になった者も、他の校長と同じように自分なりに情報を集めようとする。しかし、「この先生はどういう感じの人?」と聞けば、包み隠さず正直に答えてくれると思っている。

あるとき新任校長が、目星をつけた某先生のことを「どんな人ですか」と聞いた。現任校の校長は「よく仕事をしますよ」と答えた。新任校長はそれを信じていた。

ところが、蓋を開けてみると「よく仕事をしますよ」と言われた教員は、前任校で自分の仕事を同じ学年所属の若い教員に強引に押しつけ、療養寸前にまで追い込んだことがあったという。確かに仕事はできる人だったというから、かの校長も嘘をついたわけではない。ただ、そんな重要なことに気づいていないはずはない。

出す側の校長もこれ以上自分の学校に勤務させるのは、かなりの〝不安〟だったのだろう。

校務分掌(校内人事)の決定も大変である。

世間では、学級担任をはじめ、すべての仕事を校長が決めているように思っている人が多いだろうが、実際はそうとは限らない。

学校によっては、校長が出した原案が校内の別会議(校長不在)で〝審議〟され、やり直しを要求されることがある。一応正当な理由を前面には出すものの、その実、厄介な教員を他の学年に振り分けようとする本音が見え隠れする。

私は民主的に分掌を決めることが悪いとは思っていない。どんなに優秀な校長であっても、一人の眼に見えることには限界がある。多くの眼で確認しながら物事を進めていく方が時間はかかっても、お互いに納得できる結果が得やすい。

しかし、自分の所属学年くらいしか視野に入っていない教員が多いと、自分の学年が大変な目に合わないようにしたいという思いが優先されてしまう。〝不安〟が先に立つのだ。

そして、最も困難を極めるのが部活動の顧問である。トラブルの多い〝ややこしい〟部は誰も顧問になりたがらない。

その結果、異動で転入してくる(実態をよく知らない)教員にそうした部が割り振られることになる。時には、それが新卒でストレートに合格した新任だったりする。

他にも、こんなケースもある。

問題発言などでトラブルになり、保護者に平身低頭謝って、「今後一層頑張ります」と言ったにもかかわらず、次年度は別の部を希望する。こういうときにこそ〝信念〟を発揮して、トラブルが完全に収まるまでは自分が責任を取るという姿勢を持ってほしいと思わずにはいられない。