はじめに

退職してから、ネットニュースをよく見るようになった。そこでは、毎日のように教員による暴言や体罰などの「不適切なかかわり」が報じられている。

例えば、昨年起こった小学校での事件。小学二年生の学級担任が特定の子を「スルー(無視)しよう」と他の児童を扇動したというのである。報道だけですべてを判断することはできないが、学級担任自らが率先して児童を窮地に追い込んだとなると、もはや教員としての資質云々のレベルを超えていると言われても仕方がない。

こういう教員は全体から見ればごく少数であるとは思うし、これまでなら、ニュースになることはなかったのかもしれない。

それでも、これだけ教員の不祥事が世間を騒がせているのに、どうして自分の言動を制御できなかったのか。せめて、コンプライアンスのレベルで言動を控えるくらい、なぜできなかったのだろうか。

私は小中学校で校長を務めてきたが、こうした教師の暴言にはずっと悩まされてきた。明らかな暴言を暴言と思わない教員に何度も出会ってきた。彼らの多くは

「昔はこのくらいのことでは親は何も言ってこなかった」

と開き直ったり、

「悪いのは弱くなった子どもであり、責任は子どもを甘やかした親にある」

と、平然と答える者もいた。

一体、何がこういう教員を生み出し、どうして次から次へと現れるのか。

近年「マルトリートメント」という概念が注目されている。

「『マルトリートメント』とは『大人の子どもへの不適切なかかわり』を意味しており、児童虐待の意味を広くとらえた概念」(文部科学省、二〇〇七年、八頁)である。

これを学校にあてはめれば「やる気がないんだったら、もうやらなくていいから」「最高学年のくせして」という言葉に代表されるような、

「日常的によく見かけがちで、子どもたちの心を知らず知らずのうちに傷つけているような『適切ではない指導』」(川上、二〇二二年、一頁)

となり、川上氏は「教室マルトリートメント」と名付けている。