第1章 幼い日の思い出

2 父のこと 母のこと 祖父母のこと

父のこと

昭和十九年、女学校を卒業した姉は女子挺身隊、私は学徒動員でそれぞれ工場に通い、弟は学童疎開で家を離れた。度々の空襲にも、幸い我が家は焼け残った。

昭和二十年八月、敗戦と共に父は失業した。敗戦後の混乱期、衣・食・住にこと欠いた我々日本人は、まず生きんが為に食べ物を求めて汲々(きゅうきゅう)とした。たんすの中の着物は米やいもにかわっていった。

父は縁故を頼って鉄工所で働いたり、肩引きの荷車を引いて荷物の運搬をしたりして賃金を稼いだ。五十歳もそう遠くない年になっての肉体労働は、長年反物を扱って生計を立ててきた父にとっては過酷なものに違いなかった。しかし食べていかねばならなかった。

慣れないヤミの物資を扱って近所の人に密告された父は、検挙され、警察に拘留されてしまった。

何日かして戻ってきたのは夏の暑い日だった。母は早速お湯を沸かして父に行水をさせた。庭で向こうを向いて行水をする父の背中を見て家族全員は息を呑んだ。無数のムチの跡が、無残なみみずばれになっていたのだった。

ムチに打たれている時の父を思うと、辛くて私はこみ上げてくる涙を必死にこらえた。弟は両手のこぶしを握りしめ、くちびるを震わせた。

姉はすでに近くの町工場の事務員として働き、卒業まで二年余りの私はそのまま女学校に通い、弟は旧制の中学を中退して父の知人の菓子製造業の家に預けられ、仕事を覚えることになった。

父はもともと酒の好きな人だった。

「酒さえ飲まなんだらなあ、あんなにええ人はいないのに」というのが親せきの人々の、父に対する一致した評価だった。