挿絵(一般病棟におりてきたベッド上の夫)

我が子たちの寂しげな表情は毎日会うことで少しは変わったが、我が子たちが私を労う行動は変わらなかった。昔から正義感が強くてたくましく見えても、寂しがり屋で泣き虫で優しい長男。冷静に私の相談役にもなってくれていた。長男はお父さんが居ないことが本当に辛かったと思う。

学校へ行くと友達に大きな声では言えないとても大きな大きな悲しい出来事。平気な顔をして過ごそうとしていたと思う。「俺のお父さんが獲ってきた魚だぞ」と、給食で言えない、どんどん自慢のお父さんが友達との会話からいなくなっていく……。

それでようやく優先順位の中の第1位がせめて長男を子どもらしく戻すことになった。わがままを言えるようにすると決めた。そして三人に伝えた。何があっても五人でまた過ごせる努力をしようと。一番の目標を子どもたちと私は紙に書き記し、改めて子どもたちと結束を固めようと互いの意思の再確認をした。

『家族五人で過ごすこと』を。

そしてどんな状況下に置かれても、外の景色すら見られずとも天井を見上げて息をしている夫。各自懸命だった。その時に、事実から目を背ける神頼みを止めた。県外の某病院では再生医療に力をいれており、受傷から約60日以内の搬送条件なら幹細胞の再生医療を受けられる。

日本の脊髄損傷の患者の再生医療を知り、すがれるのならばすがろうと、連絡を入れたところ、当時でも300人待ちであり、夫が受け入れてもらえるような状況ではなかった。連絡をいただき、医療の現状を知っただけでかすかな望みも願いも断ち切れた。いつも願望は思うようには叶わない。

 

【前回の記事を読む】夫の病が治るよう、血眼になって神社へ子どもを連れまわす毎日…