倉敷市内篇

倉敷秋祭

私たちの目的は御神幸の時代行列だったのですが、なかなか行き逢わず、メインストリートの西側を進んでいるらしいという目星をつけ、やっと探し当てると、黒住教の教会で昼の休憩をしているところでした。おみこしが祭壇の前に安置され、時代装束を身につけた人々が大勢いました。宮司の石村陽子さんの姿もちょっと見えました。

そこでこちらも昼食を、と、近くのレストラン「いわ倉」(閉店、新規に「ゆうなぎ」として開店)、ホテル日航(現・倉敷ロイヤルアートホテル)の和食レストラン「八間蔵」とがあたったのですがどちらも団体の予約が入っていて満席または20分待ちとのこと。やっと阿知3丁目、蔵Puraの「和膳 風ふう」で10分くらい待ってありつけました。ランチの安いほう1,300円。ほんの少量ずつ、多種類で目の保養。

さて、と食べ終えてまた御神幸行列を探すと、すでに出発していて、JR倉敷駅に続くメインストリートに入るところでした。

白装束の人々を追い越し、陣笠に裃姿の人を追い越して、正装をして馬に乗った石村さんや、宗像三女神(むなかたさんにょしん)の扮装をした女性たちを写真に収める事ができました。彼女たちは「お旅所(たびしょ)」と呼ばれる場所で舞を披露するそうでしたが、見られなかったのは残念でした。もっと行くとやっと案内の行程図を下さった人に出会えました。

1kmの御神幸行列はその直後商店街へと右折、旧センター街商店街の交差点を南下するところで見物人が少なかったのでしっかり写真撮影させてもらうことができました。橙色の衣装に弓矢を持った人やら足軽のような扮装の人やら、お神楽を演奏する中学生くらいの子供たちやら、烏帽子をかぶった室町時代風?の衣装の人やら延々300人の行列でした。

この祭の功労者、宮司の石村さんが馬に乗って行列の最後尾近くを静かに進んでいました。

これだけの大人数の行事を仕切るには大変なご苦労があったことと思いました。

(第六代宮司、石村陽子さんは2014年に惜しまれつつ亡くなりました)