第3章 貧困に耐えた中学時代

神様からの贈り物

私達家族には大きな心の支えがありました。神様は我が家の様子を見ていて下さったのでしょうか。贈り物があったのです。父の事業が左前になったちょうどその時、宇都宮の高校に行っていた長兄が、東京大学に合格したのでした。

兄は幼少の頃から、

「東京の日本一の大学に行きたい」

と言っていました。当初家の経済状況が良かったので、中学から宇都宮の学校に通い県立宇都宮高校に入学したのです。下宿の方が

「勉強ばかりしているので身体が心配だ」

と不安がっていた程、勉強をしたようでした。その想像を絶する程の兄の努力を考えると、この大学合格は神様からの贈り物ではなく兄自身が勝ち得た結果でした。

しかし不運なことに、兄が希望の大学に合格したその時に、信じられない程偶然に我が家は貧乏のどん底に落ちてしまったのです。兄は家の状況を考え、

「進学は諦めて就職するよ。弟や妹を食べさせなければ」

と、母に言ったそうです。しかし、母は納得しませんでした。

「折角合格したのに、今までの努力を無駄にすることは出来ないよ。お前が立派な学校に行くことは、残された家族の大きな夢にもなるのだよ」

と言い、母は家にあるお金を掻き集め、兄に渡して上京させました。

「これ以上は何もしてあげられないからね。後は自分で頑張りなさい」

と言って送り出したそうです。今思えば、この時の母と兄の決断が、この後の私達兄弟姉妹の進路を左右する道標となったのです。

兄はそれからしばらくは家に帰ってきませんでした。春が来て私は中学生になりました。長兄が立派な大学に入り、心の支えがあったと言っても、空腹は満たされません。お米の節約のため、米八合に麦七合のご飯を炊きました。米よりも麦の方が安かったのです。

母がやっていた事を見様見真似で、何とかご飯も炊けました。炊き上がったご飯のふたを開けると麦の良い香りがして、麦は軽いのでほとんど上になり炊き上がっていました。一升五合のご飯を、釜の中でかき混ぜるのも一苦労でした。

私が遠足に行く時に次兄は

「おにぎりは白いご飯で作りな」

と言ってくれましたが、私はいつもの麦一杯のおにぎりを持って行きました。ご飯が白くても麦一杯でも、空腹が満たされるならそれで良かったのです。今思えば白米のご飯よりも麦のたくさん入ったご飯は、身体のためには良かったのかも知れません。