遠野物語

「むかーし、うつくしーい娘っこがいたっす。」

南部曲り家を移築した遠野伝承園の囲炉裏(いろり)の端で、語り部のかなりの訛り言葉を半分は推量で聴きながらオシラサマを語ってもらった。

先日、一度は訪ねてみたかった柳田國男の『遠野物語』の舞台、岩手県遠野市に出かけたのである。オシラサマは東北地方で長く信仰されている家神様で、養蚕、ある時は馬の、又農業の神だったりもするという。伝承園の建物の暗い廊下の奥に御蚕天堂と呼ばれる一室がある。

中に入ると千体ものオシラサマが祀られた堂の何とも言えない迫力に圧倒された。それぞれ幾重にも花模様の布にくるまれた沢山のご神体は二体が一対になっており、一つが娘でもう一つは馬の顔になっている。

飼い馬に恋をし、怒った父親に殺された馬の首を抱いて空に上った娘はその地方の蚕の神様になったという。『遠野物語』の中でも代表的な話である。当時多かった南部曲がり家は馬と一つ屋根に住む形の家屋であるから、そんな伝承が生まれた背景が想像できる。

お堂の外の庭に、岩手県の代表的俳人小原啄葉の句碑があった。

語部や川のほとりの春障子 啄葉

当時の岩手の風土の厳しさも愛着も沁みついた作者に、もう一つ私の好きな句がある。

雪女くるベをのごら泣くなべや 啄葉

遠野伝承園を出てから桑畑の間の路を歩いてほど近い場所のカッパ淵を訪ねた。林間の小さな流れの端に河童の像が立ち、その傍らに何本もの釣り竿が糸の先に胡瓜を結び付け立てかけられていた。私のように遠野を訪ねた観光客が、釣れる筈のない河童捕獲の釣り糸を小川に垂らし、決して甘いお伽噺では無い遠野物語の世界にしばし思いを寄せる為の趣向だろうか。傍らにまた句碑を見つけた。

河童淵秋色秋声流しをり

高浜虚子五女高木春子とあった。早池峰山の麓、遠野の静かな田園を抜ける風の中に、座敷童子も、天狗も、河童も、狼も、今も隠れて息をひそめているような、そんな感覚を持つことのできた旅であった。

語部や川のほとりの春障子 啄葉

二〇一五年十一月