三十二

もう一人修作の高校生活を救ってくれた人がいる。修作を美術部へと誘ってくれた美術教諭。この人たちを忘れることはない。暗闇から引き上げてくれただけでなく、芸術思考の修作を理解しその後の人生を導いてくれた。

もって生まれた美意識を信じているのか夜中の公園に転がる檸檬そのうっすらと夜露に覆われて冷たく輝く表皮は虚無を呼吸しているこの空しさをどこへむけて吐き出したらいいのだいつ爆発するかわからない紡錘形教師の想いを受け流し、何年、何十年いつも心にくすぶらせたまま漂泊しつづけたどりついた人生は海岸の漂流物のごとくなりはててそこには詩だけが残ったまだ遅くはないとの声がしている

「詩を書きなさい」

檸檬は爆発をはらんで夜の公園に発光しながら転がりだした

三十三

未来の何がいいのか。過去を何もしないことがいいのか。黙って何もしないでいる、屍。世相は緊迫している。核戦争は見えるようにかけまわる。無縁であった国が、ああだ、こうだ身近な思索ごととして、痒みただれ身構えなければならなくなっている。

現代から錯誤した若い罪をとわれない。ぬいぐるみのなかにしかないように、独裁者の戯れ。子供じみた精神に萎縮した猫や漁師。世界が困惑し、宇宙的な排除を求めている。

毎日誰とも会話せず、帰宅してもやはり彼は一人で、そうなると、畢竟対話するのは自分のなかのもう一人なのか、二人なのか、三人なのかわからない相手となる。あるいは実際に交情なり接触のあったヒトを想像して架空の会話をこしらえる。そのことで人の記憶と己の記憶が呼び覚まされ、交錯するのではないか。

いろんな道を歩いてきた。何の変哲もない道でも本人には何事かをいわんとする道があるだろう。そうした道が彼にもいくつかある。けっして一本道ではない。複雑に絡み合った道が入りくみ、横道、脇道、往路、復路をうろうろとしていた。いまだに彼はそうかもしれない。

相対性原理は飛来した神秘主義のための夏祭りである。さながら不可解なる惑星の荘厳な儀式である。愚昧なる人類の無意識の偶然は、神意なき白い幻象。白い幻象は陽炎のように揺れながら、修作の心にとまった波紋。自分は生きているのだろうか? 

吟遊詩人が詠んでいた、人民の餓死、住み慣れた百年の孤独、こんな経験は、介入する苦痛から迫る、狂気の手触りとぬくもりの別世界。長い読書体験の中で、久しくのなぐさめ。まるで可動式街並みのように思った。

うつらうつら覗き込みながら眠りに誘われ、ややもすると道端に昼下がり沈む。沈みながらも小説の世界に呼ばれ、さりげなく地球上に紛れ込んだ自分と、ゆるやかなそよ風の現実が、いったりきたりして、びくりと躰が金縛り硬直したように発光した。