四十七

修作には夏になると思い出すひとつの情景がある。

その人が修作の母の何にあたるのか正直いまだに彼は知らない。(ただ親類の方だという以外)……。

その人の持つ修作の周囲にはない雰囲気にいつもあこがれた。ややこしい経緯で修作は二度目の高校受験に失敗し、うちのめされたように暗い高校生活を毎日送っていた。

毎日考えることといえば、どこで、どうやって自殺するかということばかり考えて、現実から逃げていた。

そんな時、高校が夏休みとなり、母の生家へと行った。幼い頃から夏休みは母の生家に数日泊まり、集まってくる親類の子供たちと交流を持つということをしていた。その時もそんな風にして数日過ごし、帰るという日になって、修作は不意にあることを閃いた。

その人の所へ行ってひと夏を過ごしてみようという着想が浮かんだ。もしかしたら自分の危機をそのことで回避できるかもしれないと思った。根拠もなく。

いや根拠はある。その人の持つ雰囲気だ。その人の所というのは神奈川県の逗子という所だった。その人の家で寝起きし、朝、昼、晩と食事の世話を受け、昼間は好きなようにして修作は過ごした。

日課のように毎日裏山に登ることはかかさなかった。そんなに高い山ではなかった。が、一度、雷にあった時は遭難しかかった。暗くなっても帰ってこないから心配した、と山の入り口まで来た時、その人と息子さんが迎えに来ていた。

低い山だからといってあなどってはいけないとつくづく感じる瞬間だった。日々、単調なほどに、裏山に登り、帰るという毎日だった。そうして修作の再びの高一の夏は過ぎていった。

少しずつだが心が癒され回復していくのが修作にも知悉できた。ひとり猫がその傷をなめていやしていくように修復していく……。

夏の海岸通りをキャンバスと絵の具箱を抱えてひたすら歩いて、絵に描く場所を探したこともあった。あるいは駅に行って列車の写真を撮ってみたり、毎日が自由気まま。

その人は何も言わないし、その人の家族の人たちも修作の行動については何の干渉もしない。そのことが、修作にとってはすこぶる居心地のよいものだった。

ある日のこと、岩山の山頂に登りいつものように遠くかすむ港を眺めていた。

不意に、立花杳子はどんな高校生活を今送っているのだろうか、という想念にかられた。

修作が高校受験のやりなおしを決心させた女性だった。

自分は今、神奈川のこの土地にやってきて、毎日を過ごしている。全く修作とは無関係な夏を彼女は過ごしているのだな…… などと、埒もないことを考えて。