2

付き合って一年もすると、あやこは二十七歳になり、そわそわし始めた。もうじゅうぶんに適齢期であると意識し出したようだ。同級生カップルの子供を見てきたという話をする時、二人はすごく幸せそうだったと言った。

「あの二人ってさ、よく子供の頃の思い出話するんだよね。そうするとさ、自然に、子供作りたくなっちゃうのかもね。今日も思い出話してたよ。楽しかった子供時代がさあ、赤ちゃん見てると甦ってくるんだろうねえ」

何げない台詞の裏にあるメッセージを読み取ることはできても、ぼくには性交の意欲はあっても子作りの意欲はなかった。

子供時代の景色、それから子供のいる情景、そういうものにぼくは憧れを持てなかった。そういえば、子供の頃の思い出話というのも、あやことはあまりしていないようだ。

過去や未来に対するそうした拒絶、あるいは無関心は、よくいう『現在(いま)()きる』の心境に達していることから由来するのでは全然なくて、毛ほどもなくて、ぼくには現在でさえ何ほどのものでもないのだ。気楽な三代目というぬるま湯に、「いい湯じゃないけど冷たくないからまあいいや」と浸かっている。いずれ冷水に満たされると知っていながら出られずにいる、茹で蛙ならぬ、絶滅危惧種の凍て蛙。

やりたくて選んだ職業じゃない、という意識がどこかにあるから、必死になれないのだろうか。酒屋のあとを継ぐよう教育されてきたわけじゃない。ただ物心付いたら酒屋に住んでいたわけで、自然に自分もいつかこの仕事をやるものだ、という意識が植え付けられていたのかもしれない。

もちろん他に将来の夢がないわけではなかった。科学者、漫画家、ミュージシャン。子供の頃からいろいろ憧れてきた職業はあったものの、真剣に追い掛けてみたことがなかったのは、そんなの自分には無理に決まっているというハナからの諦めと、自分は結局酒屋の息子だから、という意識がどこかにあったからか。

もっとも地元の三流大学を卒業してから大手自動車工場に設計として勤めてみたことはあった。けれど長続きせず、さりとてその後やることも見当たらず、しかしいつでも目の前に家業があったわけで、まあずっとやるつもりはないけどとりあえず、というアルバイト感覚で家業に入り、結局今に至っている。