一体に、この世で何かことを成就しようとする男性はみな「色ごのみ」で、歴代に名を遺す英雄には、この資質が潜在的に備わっており、合わせて「漁色家(ぎょしょくか)」としての性格も備えている。

時代を問わず、一代で名を馳せた武将、特に豊臣秀吉などはその代表格で、何に対しても前向き、楽観的、どんなものにも好奇心旺盛で行動する。

彼らは、その為に必要な原動力(エンジンを燃焼させるためのガソリン)を常時、体内に蓄えている。それは「非難を恐れぬ行動力と女性に対する飽くなき探求心」である。目標に向かって自らを掻き立てる推進力、失敗を恐れず女性に挑戦し続ける行動力を持ち続けることができるかどうかが勝負である。

政治や経済また女性問題、いずれの方面に対しても猪突(ちょとつ)猛進(もうしん)をみせるので、それに必要な情熱や情欲が燃えつきてしまえば、その時は人間としての終末を迎えたことになり、後は潔く後進に道を譲らねばならない。

そうなると女性も性の対象から除外され、単なる茶飲み友達の存在だけになってしまう。情欲の炎が消滅すれば、己の行動が積極性から消極性に変化してしまい、結局は時勢を誤り、現代なら会社を倒産させてしまうことは世間でよくみる現象だ。

この様な情熱が形成されないまま貴族化し、平家を衰退させた清盛の息子たちも同様であった。色事への関心が欠如した男からは、女を引き付ける色香など発散しないので女性も近づかないし、女性への積極行動を欠いた男性は何事にも保守的、消極的になって暮らしを(いろどり)のない味気ないものにして、自らの人生をつまらなくしてしまう。

「色好み」とは決して不真面目を指す言葉ではない、この世に存在するのは男と女、陰と陽、この両極がなければ社会は成り立たないし人類の存在もない。女も男も異性を吸い寄せる力を欠如させないように日頃からの精進が大切であって、これは古今東西、男女問わず不変の法則である。(よわい)を重ねても尚、活力ある社会生活を望むのであれば、このことはとても大切な要件である。

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