第1部 政子狂乱録

三 亀の前の厄難

頼朝と亀の前の事件はそれで終わったわけではなかった。

亀の前への仕置きに飽き足りない政子は、今度はお牧の方の父の牧三郎宗親に命じて、亀の前を匿(かくま)う伏見冠者広綱の宅に押しかけさせて、家を叩き壊して大層な侮辱を加えた。

この事件は「うわなり打ち」の一種で、一般的には前妻が親しい女たちと徒党を頼んで後妻を襲い、家財などを打ちこわし乱暴をはたらく行為である。

“うわなり”とは、古語で前妻を意味する〈こなみ〉に対する後妻、次妻に相当し、また第二夫人、妾を指すことも多い。一般には、刃物は用いず棒や竹刀で互いに打ち合うもので、平安時代から室町時代に多く行われたものらしい。

『昔々物語骨董集(こつとうしゆう)』などには、主に武士や町方での行為が記されていて、一人の男性をめぐる複数の女性間の対立や嫉妬に由来するものであるが、これは夫の一時的な訪婚をともなう婚姻形態(聟入婚)と関係があると考えられる。

これほど女にうるさい男を亭主に持てば油断も隙もないと考え、政子はそれが原因で嫉妬深くなったのであろう。しかし余りにうるさく管理されると、返ってそれに逆らう行動をとるのが人間というものだ。

嫉妬心は愛情生活には切り離せないが、それが限度を超えてしまうと悪となる。

行き過ぎた性欲が世の秩序を乱せば悪業と言われるように、過度の嫉妬が社会の秩序や家庭を乱せば、同様にそれも悪となる。政子にはこの人並外れた嫉妬心があった。

女というものは夫が浮気をせぬ限りは良くもしてくれるが、一旦ほかの女に手を出したのが判ると、浅墓にもかっとしてしまって、とても男には理解できぬ振舞いに及ぶもので、とにかく執念深く何をしでかすやら判らぬ怖さを備えている。

当時は一夫多妻制の時代にも拘らず、このような嫉妬心からくる過激な行動は彼女の強すぎる性格からくるもので、そんな性格の持ち主は頼朝を愛情面までも支配しなければ満足できないし、その支配欲は頼朝の死後の政治の面にも現れてきて、後々、彼女が尼将軍や悪女と異名されることにもなる。

広綱は亀の前を連れてようよう逃げ出し大多和五郎義久の鐙摺(あぶずり)の別荘に匿われたが、二人の関係がいつまで続いていたのかは、以降、『吾妻鏡』が空白で、彼女が全く登場しないのでどうなったかは不明である。