【前回の記事を読む】元号「養老」の由来には親孝行な樵の姿が…!酒の出る泉「養老の瀑」

第一章

 

⑥今鏡

【6】「京都の僧(なにがし)

平安時代末期の頃のお話です。

京の都のあるお坊さんは母に対して大変孝行(こうこう)でした。家はとても貧しく、そのは魚が大好物でした。

母は魚がなければ食事を取らないほど大好きで、お坊さんは、いつも魚を買って母に食事を出します。

ある時、白河(しらかわ)上皇(じょうこう)が生き物を殺すことは罪であると決めます。そのため、お坊さんは魚を買うことができなくなりました。母は食事をあまり取らなくなり、今にも死にそうなほどにどんどん痩せていきました。

お坊さんは悲しみに耐えきれず、自ら桂川(かつらがわ)に行き、二匹の小魚を捕まえました。

そのお坊さんの姿を見た巡回中の役人は、お坊さんを捕まえ、魚と合わせて罪を調べる役人に引き渡しました。

役人は、お坊さんについて罪を問う調べを行いました。

お坊さんは涙を流しながら言います。

「法が禁じているのは知っています。誰もが守らなければならないのも当然知っています。しかも、私は仏の道を守る者です。魚を取ることが仏の道の決まりを破ることも知っています。罪からは当然で逃げることはしません。ただ、私の母は老いており、しかも病にかかっています。魚がなければ食事を食べることもしません。今、この二匹の魚は生き返ることはありません。願うところ、この魚を母の所に送り、一度、食事をしたと聞けば何時でも刑に付きます。また、恨むことも全くありません」

お坊さんの言葉は、とても悲しく強く求めたものでした。

役人は皆、涙を流すばかりです。

その話を上皇もお聞きになり、お坊さんに対して、お金などの褒美を与えて罪を許してあげました。