【前回の記事を読む】平安時代、仁明天皇が母を思って見せた「親孝行の姿」とは?

第一章

 古今著聞集

【3】「養老樵夫

奈良なら時代じだいころのおはなしです。美濃みののくに現在げんざい岐阜県ぎふけん付近ふきん当耆たぎむらきこりちちらしていました。このきこりは、とてもちちたいして親孝行おやこうこうでした。しかし、いえまずしくおかねもなくてやまたきぎり、それをって生活せいかつしています。そのちちは、おさけ大好だいすきでした。きこりは、いつも瓢箪ひょうたんつくった水筒すいとうあるき市場 いちばって、おさけってからいえかえります。

ある()(やま)(たきぎ)(ひろ)っていた(とき)のことでした。(きこり)(あやま)って(いし)(つまづ)(やま)から(たに)(ころ)()ちて(たお)れてしまいます。(きこり)()()ますと、(ちか)くにお(さけ)(にお)いがすることに()()きました。(きこり)最初(さいしょ)不思議(ふしぎ)(おも)って左右(さゆう)見渡(みわた)すと、(いし)(あいだ)からこんこんと(みず)()()しています。その(みず)(いろ)(さけ)()ており、(きこり)(ため)しにこれを()めて(あじ)(たし)かめてみました。その(みず)素晴(すば)らしい(かお)りがしており、さらに、(あま)美味(おい)しい(あじ)をしていました。(きこり)はとても(よろこ)びます。

それから毎日(まいにち)(きこり)はこの(みず)()んでから(ちち)(あた)えることができるようになりました。

(れい)()(ねん)西暦(せいれき)717年(ねん)(がつ)(だい)四十四(だい)元正(げんしょう)天皇(てんのう)美濃(みの)訪問(ほうもん)されました。そして、その(いずみ)名付(なづ)けて「養老(ようろう)(たき)」と()びました。さらに元号(げんごう)(あらた)めて「養老(ようろう)」としました。