四分暦の一種、顓頊暦は、唐書暦志に僧一行の言う所から、紀元前366年(旧)甲寅年正月甲寅晨初が丁度朔でかつ立春であるとして計算を始める暦とされていたことが知られる(新城新蔵氏著『東洋天文学史研究』〔弘文堂書房昭和3年〕p.534)。紀元前366年は西暦-365年である。西暦1年の前年が紀元前1年と言われるが、これが西暦0年であり、紀元前2年が西暦−1年、以下同じで、紀元前X年は西暦-(X-1)年である。

このマイナス記号を用いる数え方を天文学的紀年法という。紀元前後の計算を通算するときに便利であるので暦計算にはこの紀年法を用いる。紀元前数値をそのまま用いると1年相違してしまうので注意が必要である。

顓頊暦の暦元、西暦-365年の年干支、50甲寅が旧干支紀年法に基づく干支であり、我々のいわゆる旧甲寅年であることは述べた通りである(新甲寅年である-366年より1年下った西暦年である)。正月甲寅とある甲寅の方は日付を示す干支である。

晨初は寅の初刻・午前3時。西暦-365年の正月の朔が丁度この時刻で、干支指数が丁度50、かつ丁度立春であるとして計算を始めるのが顓頊暦であるので、従って顓頊暦では午前3時が一日の始まりなのである。なお、干支指数とは六十干支の甲子から癸亥までに0から59までの数を充ててこれを60を法とする剰余数と見做し、この剰余数を実数にまで拡張したものである。

ただし古代人に無理数の概念はなく、実際には分数つまり有理数の範囲しか扱わない。例えば顓頊暦の場合、干支指数3.5の日時といえば、干支番号3である丁卯の日の、0.5日目、つまり12+3=15時のことである。60を法とするので、たとえば干支指数67.25は、7.25に等しい。立春という言葉も暦学上の言葉である。

太陰太陽暦は、地球が太陽の周りを公転する周期~太陽年と、月が地球の周りを公転する周期~朔望月という本来無関係の周期を統合して作られている。太陽年は季節の把握に必要で農業には必須の周期であり、朔望月は潮の干潮の把握に必要で漁業・海運等に必須の周期である。