中国の挑戦は単なる軍事力の発露だけではない。近代社会が営々と築き上げてきた普遍的価値(自由民主主義)の真贋(しんがん)を問おうとするものである。

この挑戦はプーチンロシアとは一線を画する。ロシアは今後せいぜい背を低くして欧州連邦に留まるか、あるいは中国に寄り添ってアジア国家として生き延びる可能性のほうが高いだろう。

一方中国は合理主義や自由民主主義へ挑戦しようとしているといえる。それは新合理主義や新自由民主主義への構想とも受け取れる。どちらが正しくてどちらが間違っているかではない。どちらが住みよいか、どちらが生きやすい世の中かを問おうとするものである。

格差社会の広がりや自由の押し付けは中国のこの戦略にとって恰好(かっこう)の援軍となるであろう。「赤信号みんなで渡ればこわくない」中国は紅旗を掲げて進軍してくるであろう。

西側諸国はソ連を崩壊させることはできたが、中国をユーラシア経済圏から放逐することはできないだろう。なぜなら中国は経済規模による存在感だけではなく、歴代の中華王朝が築いてきたかつての朝貢制度の残照が今なお残っているからである。それはソ連邦時代のロシアの各国支配とは異なって、中国の統治には儒教に基づく徳や礼節の精神が曲がりなりにも内包されていたからと考えられる。

中国の新疆ウイグル自治区などへの対応が、イスラム原理主義やイスラム諸国の反発を予想されるほど受けていない理由もそこにあるのではないか。

自由民主主義は根本的な見直しを迫られているといえよう。これに伴う世界の二極化(自由民主主義陣営とその他)は、覇権争いや紛争にまで発展しなければ悪と決めつけることはできない。

グローバリズムや多様性の進展は、かつての共産主義のように自由民主主義を蝕みつつある。

西側世界はこのことを認識したうえで中国と民主主義自体を見直さなければならない。民主主義陣営は第二のレコンキスタを必要としているともいえよう。

十字軍なしにはキリスト教圏を回復できなかったのだ。西側諸国は今後結束して対処しなければ、築いてきた普遍性を守ることは難しいだろう。その際NATOにおけるトルコ(イスラム国)などの存在が微妙となろう。トルコをマッチ・メーカー(仲介人)として安易に振る舞わせることは危険である。

歴史を紐解けば、米国が中国にとって匈奴(敵)あったことはなかった。また中国が米国にとって匈奴であったこともなかった。なぜなら、米国は中国とは陸続きではなく、また中国を軍事国家ではなく巨大市場としてみようとする傾向にあった。

この米国の国益追求の考えだけは、共和党・民主党ともに常に一致していた。今後もおそらく大きく変わることはないであろう。

今日も台湾問題があるために大分(だいぶん)と警戒をしているようだが、中国そのものにはそれほど脅威を感じていないとみている。台湾問題が軟着陸すれば、いずれ関与政策や緩和政策にとって代わる可能性が大である。

日本としては、米国の表面上のパフォーマンスに一喜一憂することなく、まずは足元を固めて、いずれの局面にも右往左往しないで済む体制を整えるべき時ではないか。