わたしたちは毎日三度三度食事を摂ります。この場合、食事を摂るという行動自体はわたしたちの意図的な営みなのですが、時間がきて空腹感を覚えたり、適度に食べて満腹感を覚えたりするという作用は生理的いのちの働きです。

また、口から入った食物が胃袋を通り、小腸や大腸を通って排泄されるまでの流れは、わたしたちのあずかり知らぬうちに進行していく出来事なのですが、これらも生理的いのちの働きです。消化器の中で繰り広げられる複雑な消化活動や栄養摂取も、わたしたちが生命をつないでいくための大切なことなのですが、これらもすべてわたしたちが知らないうちに進行していく生理的いのちの営みなのです。

遠く離れて暮らしている孫に久しぶりに会うとびっくりすることがあります。背丈や顔かたちはもとより、仕草や言葉遣いまでもが大人びてきているのです。いつの間に、どのようなことでこの子がこう成長してきたのか想像だにできません。人間の成長の営みは、本人にも周りの者にも気づかれない間に確実に進行していきます。これらも、すべて生理的いのちの営みです。

心身の成長だけではなく、衰えにもまた同様のことが言えます。同じように食事を摂り運動を続けているつもりでも、知らず知らずのうちに髪が薄くなり、顔のしわが増え、物忘れが多くなっていきます。残念ながら決して後戻りのできない一本道です。

どこでどのような暮らしをしていようとも、わたしたちすべてのホモ・サピエンスは、目に見えない生理的いのちの働きで生まれ、生かされ、そして送られていくのです。生理的いのちとは、この上なくありがたいいのちであるし、この上なく(むご)いいのちでもあるのです。