芭蕉と三角むすび

 

コンビニの棚に並ぶおむすびは丸型より三角形が多い気がする。この三角型むすびの発祥の地と伝わるのが、東海道五十三次二番目の宿場川崎宿なのだそうだ。

八代将軍徳川吉宗が川崎宿宿泊の折、本陣責任者の田中何某が白米の飯を機転で調達し握り飯を作り吉宗一行の空腹を満たしたことを吉宗はいたく褒めたそうである。

それ以来、三角に握った三つのおむすびを丸い盆に並ベ徳川の葵の御紋に見立てたものが「御紋むすび」として、その後三百年もの間川崎宿の名物であったと伝わっている。

松尾芭蕉が子の治郎兵衛と共に、西国の弟子たちの元へと向かうため、この川崎宿に立ち寄ったのは一六九四年五月のことであったらしい。

江戸の芭蕉庵を出て品川宿を抜け多摩川六郷の渡しを渡った芭蕉は、ここまで見送りに来た江戸の門人、利牛、野坡らと、ここ川崎宿の榎だんごの店で別れを惜しんだ。これが大阪で病のため五十一歳で生涯を終えることになる彼の最後の旅となった。

年代的に、吉宗所縁(ゆかり)の川崎名物「御紋むすび」を芭蕉も目にしたとしても不自然ではない。旅の弁当とするために三角のにぎりめしを荷の中に忍ばせ、芭蕉が終焉の地に旅立っていったと想像してみるのもよいかも知れない。

芭蕉が門人と別れる際詠んだ句は、百三十年後、俳人一種が句碑として残した。神奈川県川崎市を走る京浜急行の八丁畷駅近くの商店街に今も残る碑の傍らには、句に因んで地元有志の手で小さな麦の畑が作られている。

麦の穂をたよりにつかむ別れかな 芭蕉

二〇一二年 五月