【一人目の女性の物語】「やがてあけてゆく空のように」

■ 追憶――たちきれない心

仁美には、大切にしている写真がある。中学・高校・大学・結婚後の4枚である。4枚の写真は、仁美にとって、たちきることのできない、心を残す場面を切り取ったものであり、忘れられない、否、忘れてはならないものなのである。

4枚の写真は、手に取るその時々に、仁美に、“何か”を語りかけてくれる。〈哀しみも、苦しみも、我慢することも、あの頃、あの時以上のことは決してないはず〉〈無駄なことは何一つなかったんだよ〉などと。

仁美にとって一枚一枚の写真は、見ているだけで癒され、ボロボロになりかけた自分を立て直す力となるのである。

何故、仁美がそれほど4枚の写真にこだわるのか。それは仁美の生い立ちから成長の過程で培われたものに他ならない。

■ 仁美の出生

仁美は、第二次世界大戦が激化する昭和15年に、広島県呉市にある医院(入院病床保有)の長女として出生した。父が戦地に出征中の誕生であり、一歳の誕生日を目前にしたある日、父戦死の報せがあった。

仁美の名前は、父が生前に名付けたものであり、祖父の仁一朗にちなんでの命名であった。仁美は、医師である祖父と祖母と母に、それはそれは大切に育てられた。

終戦まで医院で成長し6歳になった仁美は、母と二人で愛媛県の田舎に疎開することになった。原爆投下による被爆を避けるための母の苦渋の決断であった。母は籍を抜き、母方の祖父母が住む田舎の家で生活を始めた。母は、仁美に父親の必要性を感じて、再婚を決意するのであった。

ここから、母と娘はさまざまな困難を経験することになったのだ。

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