中川営業部長は編集次長と同じように情報を整理しているのか、こちらも忙しくペンを動かしている。晴美は中川の所へ行った。中川はペンを()いた。

「午前中はまずまずの成果でした。お店の中へ一歩足を踏み入れることは随分勇気がいりますね」

中川はそれはいかんな、という顔つきをした。

「営業はお店の中へ入ることから始まるんだ。そんなことで尻込みするのは営業マン失格だぞ」

「それはそうですが、いざやってみると……」

「とにかく、頑張りなさい。期待しているぞ」

中川は晴美に発破をかけた。晴美によし、という強い意気込みが湧いてきた。

とにかく、今日は左右の店を隅から隅まで回るんだ。そんな強固な意志を抱いて、晴美は職場をあとにした。

往来は相変わらず多くの車でごった返しており、大きなエンジン音を吐き出しながらまるで祭りのように賑わっていた。

右側の店の一軒目から晴美は挑戦した。足を踏み入れた途端、ピンクのスーツ姿の晴美は、「私は『ゴウジャイ』の営業をしている井意尾と申します。広告を出して頂きたいのですが」とストレートに切り出した。

店主は右手で駄目、駄目のような仕種をし、「またにしてくれる」とはっきりと断わられた。あまりにもあっさりと言われたが、礼儀が大事、いつ気持ちが変わるか分からない。「また宜しくお願いします。ありがとうございました」と一礼をして去った。

これが何軒も続いた。が、晴美は怯まずに、必ず、「また宜しくお願いします。ありがとうございました」と一礼して、丁寧に対応した。

左側も全く同じであった。

あぁ、こんなにも手応えがないのか――。

晴美の頭はコチコチに固くなり、俯き加減になっていく。

何くそ。

思い描いていた営業という仕事と実際とのギャップがあまりにも違い過ぎると痛切に感じられた。まるで(きり)か何かで揉み込まれていくような感触である。

自転車を漕いで職場に戻った。一日の報告をノートに書いて中川営業部長に出さないといけない。

勤務時間は午前十時から午後五時までだが、その報告書を書くため、晴美が退社時刻の二十分前に帰ると、中川はすでに戻っていた。何か不機嫌な顔で晴美を睨みつけている。まるで午後五時まで外回りをし、それから報告書を書け、と言わんばかりの雰囲気が彼の四辺に漂っていた。

が、晴美はそれを追い払った。

とんでもない。報告書を書くのも勤務時間だ、と思ったからだ。

ノートを中川へ渡してから、晴美は職場を出た。

ふうっ――。口から大きい息を吐き出した。

【前回の記事を読む】本来の明るさを取り戻して「よし――。こちらが広告を頂くのだ」