第一章 晴美と精神障がい者

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一つ、気に入った店を見つけた。時計店だ。自転車を止めた。鞄を右肩に背負って、入口の長方形の茶色の敷物に右足を乗せた。と、自動ドアが待ちかねたようにスゥーと小さい音を立てて開いた。

「いらっしゃいませ」

剥き出しになっている目覚し時計が整然と並べられている棚の埃を取るようにゆっくりとはたきではたいていた四十代と覚しき、うす化粧の女性店員がその手を止め、晴美を見て、ニコッと笑った。晴美は「私はお客ではないのです」と言うような顔をした。鞄から名刺と新聞を一部取り出して、

「店長さんはいらっしゃいますか。すみませんが、店長さんにお会いしたいのですが」

中年の女性店員の顔は一瞬、きっと強張ったような表情になったが、すぐに

「少々お待ち下さいませ」

とさっきのにこやかな顔に戻り、

「店長、お客さまです」

と奥にいる店長らしき人物に大声で言った。従業員はどうもこの女性店員一人だけのようだ。

四十歳ぐらいのすらりとした長身の男性店長が晴美の前に来た。

「私はタウン誌『ゴウジャイ』の営業をしています井意尾と申します」

と晴美は名刺と新聞を店長に両手を添えて手渡した。

「それはご苦労さま」

名刺をちらっと見ながら店長は言った。それだけ言うと、

「ちょっと失礼」

と店長は奥へ引っ込んでしまった。女性店員も晴美を無視し、相変わらずはたきで時計をはたいていた。

晴美はまるで大海原に浮かぶ小さなボートにたった一人取り残されたような孤独感を覚えた。が、営業員が腹を立てたらその資格はないと晴美は瞬時に思った。これが営業の厳しさだ。自分でそう胸に言い聞かせた。

「ありがとうございました」

と軽く、一礼をして晴美は店から出た。

緊張の糸が心臓の真ん中でぷつりと切れたような解放感が晴美の体に押し寄せてきた。そして、本来の明るさを取り戻した。これはほんの序の口に過ぎない。こちらが広告を頂くのだ。謙虚に謙虚に、姿勢は低く、低くと晴美は幾度も頭の中にその言葉を叩き込んだ。