人間のいのちは、「生理的いのち」(生死のいのち)をベースに据えた上で、大きく「生物学的いのち」と「精神的いのち」の二側面から捉えていかなければならないということです。

野の生きものたちは、脳幹・脊髄系(は虫類脳)と大脳辺縁系(ほ乳類脳)に生かされて、生理的・本能的に生きていきます。人間が生きてゆくということは、生理的・本能的いのちに生かされつつも、上位脳である大脳新皮質系(新ほ乳類脳)を駆使して創意工夫をこらし、どう生きてゆくべきかを模索しながら生きてゆくということなのです。

ここで自動車を生きものに見立てて、抽象的ないのちの概念を具体的な例えで考えてみたいと思います。広辞苑には、いのちの意味を「生物の生きてゆく原動力」と定義づけしています。

「生物」を「自動車」に置き換え、「生きてゆく」を「走行する」に置き換えてみると、自動車のいのちは「自動車の走行する原動力」と想定することができます。自動車の走行する原動力は何といってもまずエンジン“Engine”です。エンジンは、自動車の第一義的ないのちです。

しかし、エンジンだけでは自動車の役目を果たすことができません。向きを変えて走行するためのハンドル“Handle”が必要です。さらに、自動車が目的を持って有用な走行を実現していくためにはドライバー“Driver”がいなければならないのです。

E・H・D(Engine・Handle・Driver)の三拍子揃って初めて自動車の走行する原動力(いのち)となるのです。エンジンだけが自動車のいのちではないということです。

このことを人間のいのちに置き換えて考えてみましょう。自動車のエンジンが動いているということは、人間で言えば、心臓が動き、呼吸ができて「生理的いのち」(生死のいのち)が順調に作動している状態を意味します。生理的いのちとは、主に脳幹・脊髄系の脳の働きによって醸成される反射的・調節的生命活動のことです。

自動車のエンジンの回転を右左への稼働に変えていくハンドルが備わったということは、人間で言えば、欲しいがままに衝動的にたくましく生きていこうとする「生物学的いのち」が備わってきたことを意味します。生物学的いのちとは、主に大脳辺縁系の脳(ほ乳類脳)の働きによって醸成される本能的・情動的生命活動のことです。

さらに、その自動車にドライバーが乗ってハンドルを操作するということは、人間で言えば、本能の赴くままに行動しようとする人間の生物学的いのちを、より望ましい方向にコントロールして生きていこうとする「精神的いのち」が備わっていることを意味します。精神的いのちとは、主に大脳新皮質系の脳(新ほ乳類脳)の働きによって醸成される精神的な生命活動のことです。