私の夫も小さかった頃の最初の記憶は、五歳だと言っていました。

私が生まれて半年後、昭和二十年七月の宇都宮大空襲の記憶です。夫の住んでいた近辺は、かろうじて空襲を免れた境界線で幸い家は残ったそうです。その時の空襲の爆音と地響きの凄さに危険を感じ、自宅の庭の防空壕を出て頑丈なガードの下に逃げたそうです。

B29の音が遠のいてから、家族と共に小高い東武鉄道の架線に上がり、そこから宇都宮の町の様子を見たのです。目の前の町全体が真っ赤に燃え、遠くまで一面火の海になっていたそうです。

その光景は恐怖と共に、ずっと忘れることの出来ない思い出だと言っています。

この宇都宮大空襲の事は、私の母がよく話していました。当時住んでいた私の生まれた家から三十キロも離れた宇都宮方面の空が、夕焼けよりも真っ赤に燃えて見えたそうです。五歳の夫が空襲に逃げ惑っていた時、生後六か月の私は母の腕の中にいたのでした。