その十字路の先には、兄達が通っていた小学校があったのです。母はよく兄達が、足袋を履いて走った運動会の事を、懐かしそうに話していました。

日常は下駄ばきでしたので、運動会は足袋はだしのようでした。でも私の思い浮かぶ絵には、その十字路近辺の景色だけで、その先の景色や兄達の運動会の様子は浮かびません。

母に頼まれたおつかいは、多くは砂糖や油を買ってくることでした。油は瓶に入れるのに時間がかかります。油は水のようにスーと瓶に流れずに、いつまでも漏斗から「ポタン・ポタン」と垂れてくるのです。いつ途切れるかと、じっと我慢して待っていました。

それでも他のお客さんがいない私一人の時は、油の垂れるリズムを楽しんだりもしていました。

それに比べて何人も並ぶ時は、帰りが遅くなるのが心配で気が急くのです。下駄をカラコロさせながら、息せき切って急ぎ足で帰るのでした。

おつかいは楽しい事ばかりではなく、怖い事もありました。それはおつかいの帰り道の事でした。

にわかに空が急変すると、遠くに見える山の上の我が家が真っ黒な雲に被われます。その黒い空に向かって走るのです。周りに人影のない中、自分が黒い雲の中に吸い込まれるようで、五歳の子どもには足がすくむ程の恐怖その物でした。買物袋を抱えて必死で走りました。山道を上がる頃、こぼれそうな涙をこらえて母の姿を探すと、そこにはいつも母が待っていました。

それは夏の夕立雲でした。この一人で行った五歳のおつかいは、やがて訪れる苦難の生活を一人でやり抜いていく力の糧になったのかも知れません。