【前回の記事を読む】「衝撃を受けた」雑誌で見たNAPS最強モデルの車のデータにおののいたワケ

車社会の行く末はどこ

雨中のF1観戦 6輪のレーシングカーを見る!

もう一つこのケンメリスカイラインには思い出がある。それは昭和51年(1976年)に富士スピードウェイで行われた、F1日本グランプリにこのクルマでいったことである。

当日は天気が悪くとてもレース日和といえなかった。それでも私は当時付き合っていたガールフレンドと二人で富士スピードウェイを目指した。御殿場インターの出口はすでに長蛇の列であったが、私はガールフレンドとの話に夢中になり、うっかり出口に向かうクルマの列を通り過ぎてしまい数百mそのまま走った。

東名の本線にいる間に割り込ませてもらわなければいけないので、助手席の窓からガールフレンドにクルマから落っこちるのではないかと思えるほどからだを乗り出して手を挙げてもらい、ギリギリでなんとか割り込ませてもらった。

駐車場に入るころにはさらに天気は悪くなりスタートも遅れた。それでも憧れのニキ・ラウダ、マリオ・アンドレッティ、ジェームス・ハント、エマーソン・フィッティパルディらのドライビングが見られるのと、当時はまだタイレル(のちにティレルと呼ぶようになった)の6輪車を見られるということでとても盛り上がっていた。

タイレルの6輪車は後輪は普通のF1カーと同じであったが、前輪には後輪よりだいぶ小さい車輪が4個付いていた。2年ほどで消えてしまったので貴重なレーシングカーを見ることができた。

午後3時にレースはスタートしたのだが、路面には水たまりがたくさん残り、コースコンディションの悪さを理由にお目当てのニキ・ラウダをはじめ何名かのドライバーが棄権してしまった。結局インディ500でも活躍したマリオ・アンドレッティが優勝した。天候の悪いのは如何(いかん)ともしがたかったが、集まった7万人ともいわれる観衆は、肌寒い中その爆音とスピードに酔いしれた。

レース後、帰り道の東名に向かう途中、どの車も(もちろん99%マニュアルトランスミッションのクルマであったと思う)アクセルの空ぶかしを盛んにして自分が“マシン”に乗っていると錯覚した。そういう私も相当空ぶかしをした。私とガールフレンドは雨で冷えた体を暖めるために御殿場近くのモーテルに入り休憩した。

漫画のような話であるが、遠くの方から“ドーン、ドーン”という自衛隊の射撃訓練の砲撃音が絶え間なく聞こえていた。レースの爆音がなくなり、やっと自分の耳も正常を取り戻そうとしている時の、富士山の麓から聞こえる余分な雑音であった。