ただし、一方では日産はこのスカイラインの代名詞であったL20に長くこだわったために、のちのトヨタなどライバル会社との開発競争に勝てなかったという側面もある。経営面で見れば、早くに次世代エンジンの開発に着手しなかったことが、その後の日産の長期低迷の一因であったのかもしれない。私のように性能面よりもフィーリング面でL型エンジンのファンであった人間からするとちょっと残念な思いに駆られてしまう話なのだが。

また、私はこのスカイラインで本格的なラジアルタイヤを初めて履いた。なんと驚くなかれサイズは185/70の14インチ! 現在の軽自動車のタイヤのようである。ちなみに現在のスカイラインはエントリーモデルでも225/50/18である。まさに隔世の感がある。

ブリヂストンのRD202というブロックパターンのラジアルに、当時流行っていたエンケイのメッシュという組み合わせで、そのラジアルのブロックパターンは徳川の葵のご紋を平らにしたようなパターンであった。このRD202は走行時の騒音はかなり高めであった。スカイラインの特徴であった後ろのホイールアーチのサーフィンラインのおかげで、タイヤとボディの間は指一本が入るだけの隙間(1cm)しかなかった。185サイズの巾以上のタイヤは物理的に履けなかったのである。

これがまた私の自慢で、友達に「見て見て、ほら指一本しか隙間がないんだよ」と困ったふりをして思い切り自慢をしていた。このRD202はとても水はけのよいタイヤで、ブレーキ性能が上がったのではないかと勘違いするほどよく止まった。

また、私の記憶であるが、同じ昭和48年に197台だけ生産されたオーバーフェンダー付きのスカイラインGTRの標準装備のタイヤは175巾で14インチのラジアルであった。サーフィンラインを壊してしまうオーバーフェンダーが取り付けられていたが、それが全く必要のないくらい細いタイヤであった。