僕が彼女を守ったと言ったら、それはおこがまし過ぎる話です。なぜなら彼女は絶縁を僕にせがんだことは一度も無かったから。絶縁は彼女に対する罪悪感から逃れるためと、心の自由を得たいがために起こした僕の勝手な判断。彼女には何も相談しないで決めたので、場合によっては「何をしてくれたの」と責められても仕方なかったのです。でも、その後状況を説明し納得してくれたのと、楽しそうにしている現在の彼女の様子を見て、これで良かったと思っています。

そして、これも“ご縁”のはからいだと思っています。今思い起こすと不思議なものです。僕は子供の頃から自由をテーマに生きてきたところがありました。そしてその課題は様々な対人関係や経験を経てクリアしてきた自負はあります。そして残すところの課題は母だけとなったのですが、最後はこのような形での幕切れ。母はある意味、僕の中に「自由」というテーマを授けた人であり、またそのカリキュラムの講師でもありました。自分を成長させるために現れた使者だったようにも思います。

そしてもう一つ思うところ。それは夫婦関係。母がいなければここまで家内のことを知ることができなかったかもしれません。彼女の気持ちを()もうとする努力はしなかったかもしれません。悩みを共有し、解決のために一緒に考える。それが夫婦の絆を強くさせ、「愛することって何だろう?」を、真剣に考える機会にもなりました。そう思うと母との出会いも意味のあることだと思います。

ものごとは捉え方によって変わります。起きた事実は変わらなくても、捉えようによって幸せにも不幸にもなります。

世の中には、僕らと似たようなケースがたくさんあるように思います。親との確執は、決して珍しい話ではありません。何が原因で人は疲弊し自殺までしたくなるのか。原因が謎のままということもあるでしょう。ストレスは可視化できないものだけに難しいです。

そして迷った時、何が正しくてそうでないかも分かりません。ただ分かっていることがあるとすれば、自分にとって何が大切なことか。誰が一番大切な人か。これから誰と一緒にいると笑顔でいられるか。それだけではないでしょうか。それを考えた時、おのずと答えは降りてくるように思います。

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