コンビニで買った二百九十九円の小さなウイスキー壜は旅の友で人生を語ってくれる。空を見上げてトクトクという音、そしてこの味に痺れた。二口飲んで頭はぼんやりしたが、心は落ち着いた。遠い昔を懐かしむ心はこの時消えた。

電車は恵那に差しかかった。天気は下り坂なのか早朝とは違い、薄曇りとなってきた。

静かなる恵那の遠田や薄日さす

一句浮かんだ。今を一生懸命生きている自分がいた。

石川達三の『四十八歳の抵抗』を以前読んだことを思い出した。今はその本のような内容の抵抗はできない。ただ人生に対する応援歌を勝手に歌っているのだ。自分をどうしても肯定したいものだ。今は大切な時間だった。

恵那を過ぎた。次は終点中津川だ。

ここで乗り換えれば一気に目的地、奈良井に着く。幸い各駅停車だったので時間はかかるが景色を追いかけ、心に栄養を与えるには十分だった。

時間に追われず気長さを追い求める時、各駅停車はありがたい。今日は川端康成『伊豆の踊子』を持参してきた。

旅をするときはいつも旅に関する小説を持参する。主人公のようなハプニングはありそうもないが自然とそういう持ち出しを趣向してしまう。

中津川に着いた。それなりに大きな駅である。

ここから名古屋へ向かう人、長野方面に向かう人と大きく分かれる。松本方面は旅行者か。棚に置かれている旅行カバンが心に優しい。

車窓は山間を駆け抜けていく。『木曽路はすべて山の中』を実感させるのに十分であった。

山はまた女性的である。苛立ちや小さな葛藤、意味のない憤りを優しく包み、自分が神経質であることを教えてくれる。そして過ぎ越してきた一見無駄と思われた時間もトンネルを抜けたら『千と千尋の神隠し』の映画のように別世界へとつながっていたのであった。

『無用の用を尊ぶ』。中国の偉大な儒学者は古えよりこれを重要視し、人生の糧として、日常に取り込んできた。無用の用とはすばらしい言葉と思う。用のないものに哲学的意味を持たせられることは幸せである。贅沢な自分だと思う。

落合川大岩語る今むかし

馬籠超え南木曽越えたり奈良井行