このお侍さんの心の声が、無念と自分を責め続ける叫びのようなものが、瞬時に私の身体へと、氾濫した川の濁流の如く流れ込んできたのでした。あの忌まわしい事件さえ起こらなければ、お侍さんは普通に、家族との楽しい幸せな時間を数十年は体験できるはずだったのでしょう。

その希望にあふれた時間を、一夜で奪われてしまったのです。その悲壮感や絶望感を想うと、とても胸のあたりが苦しくなりました。悲しいよね……。辛かったよね……。本当に大変な想いを体験なさったのですね。そう伝えると、私はお侍さんの後ろから、そっと背中を抱きしめていました。しばらくの間、じーっと動かずそのままの時間を過ごしました。

お侍さんには、私がハグしていることはわからなかったと思います。お侍さんは、両親との懐かしい思い出、奥様やまだ幼いお子様たちとの楽しい記憶の光景に包まれて、にぎやかな家族団らんの声を聞いていたようでした。この幸せな瞬間が確かに存在していたことを。

そう思ったとき、お侍さんは背中から、胸の奥から、じんわりと温かなものを感じ、決して消えうることのない深い想いをキャッチされたようです。戦国の世とは、なんて非情なのでしょうか。人の命の重さを知る由もなかったのでしょうか。

武将たちは、戦のない、誰もが笑って過ごせる平和な世にしようと、それぞれの理想を胸の奥に秘めて、そのために成し得ることをただひたすら行ってきたのかもしれません。たくさんの血の争いを経て、長い歴史を経て、今の時代へとつながっているのだと思います。

戦うことでどんなことを、日本人は学んできたのだろう。共に生き、豊かに生きる道を選ぶ選択肢もあることを学ぶ機会は、いつの世にも存在しているように私は思います。お侍さんはその後、どんな生涯を過ごされたのでしょうか。

すべての家族を一夜で失ったお侍さんは、安住の地を求めてというよりも、自分の持てる力を存分に発揮することを決意し、住んでいた場所の復興に尽力されたようです。守りたかった家族を失った後、生き残った皆で支え合い、共に笑顔で生きていく村へと、小さな歩みを繰り返す実直なお侍さんは、いつしか村の誰からも慕われ、尊敬される武士になっていました。

新しくお嫁さんを迎えることはありませんでしたが、村の子どもたちを我が子同然に大事にする姿は、誰の目にも優しく、また逞たくましい父親として男として、映っていたに違いありません。人望の厚いお侍さんは、心の奥に深い悲しみを残したまま、それでも、周囲の村の衆たちのために明るく生涯を終えたようです。

【前回の記事を読む】「命丸ごと、存在していることが素晴らしい」学びつづける我々の命の定め