第2章 Please Please Me

一九五七年『クオリーメン』というバンドを結成し、活動していたジョン・レノン(十七歳)。そのライブを観に行ったポール・マッカートニー(十五歳)と意気投合し、ポールもバンドに加入。ポールを加入させたことについてジョンは、

「僕たちはリヴァプール以外では無名だったから、ポールの客をつかむ演奏が必要だった」

そう語っています。翌年、ポールが友人のジョージ・ハリスン(十五歳)を紹介し、ジョージも加入。そこから何回ものバンド編成を経て、一九六〇年に『ザ・ビートルズ』と改名。バンド名の由来は、一九五四年に公開されたアメリカの映画『ザ・ワイルド・ワン=乱暴者』に出てくるバイク・チーム、『BEETLES』から捩り『BEATLES』となったようです。

翌年、ライブ・ハウスで、ビートルズのステージを見たブライアン・エプスタインが、ビートルズとマネージャー契約を結ぶ。翌年“デッカ・レコード”のオーディションに不合格。その翌年“EMIレコード”のジョージ・マーティンのオーディションに合格。けれど会場の機材不備に不機嫌な顔をしていたジョージ・ハリスンに対し、マーティンが

「何か気に入らないことでもあるのかい?」

そう尋ねると、

「あんたのネクタイの柄が気に入らない」

この度肝抜かれる発言。マーティンはジョージ独特のブラック・ジョークを気に入り、そのままビートルズのプロデューサーに就任。そしてメンバー一人の脱退を経て、当時助っ人として参加していたリンゴ・スター(二十二歳)が正式メンバーに加わり、新生ビートルズが誕生します。ジョンは当時のことを、

「リンゴは、ビートルズに加入する前からリヴァプールで既に有名で、一時代を築いていたよ」

そのように述べ、ポールはリンゴと初めて演奏した時のことを、「衝撃を受けた。僕たち(ジョンとジョージ)はビックリして見つめ合い―これだよ! そう思ったんだ」そう語っています。そして、当時リーゼントだった髪型をマッシュルーム・カットにし、アイドルとしてデビューするのです。

一九六二年には記念すべきデビュー・シングル『ラヴ・ミー・ドゥ』をリリースし、翌年の一九六三年四月、ビートルズ待望のファースト・アルバムをリリース。