二.鹿島槍への道

(防大)山岳部は今度の冬山合宿で中級部員のレベルアップを目的として、赤岩尾根高千穂平からのラッシュタクティークによる鹿島槍登頂を行った。以下はその記録であるが、山岳部としての公式な発表ではなく、そのメンバーの一人が個人としてしたためた記録の一部である。

昭和三十四年十二月二十四日

八方尾根でスキー合宿に入る十三名とともに学校を出て、意外と静かでジングルベルの響きもないクリスマスイブの新宿を発つ。この三年間、僕の誕生日はいつも冬山に向かう第一日である。

二十五日

大町からバスで大谷原まで入る。夏秋と偵察のたびごとにお世話になった建設省の小屋をベースハウス(以下B・H)とする。

明日からの荷揚げを少しでも有利にするために、二名は偵察に、他は全員で食糧装備の一部を西俣の出合い近くの台地にデポする。春の雪解けから秋の台風にかけて存分に荒れた大冷沢は、今一面の雪に覆われてその静寂は身にしみた。そして、その底に潜む雪崩の可能性を考えた時、無限の暗々たる雪原を行く、小さく孤独な人間の姿をかいま見る思いがした。その踏み跡の、ひとすじにすばらしきものに向かいて歩めよかし。

二十六日 

二時起床、四時出発。雪崩を案じた西俣の出合いのトラバースも、沢の真ん中に水が出ているような状態で、順調に赤岩尾根にとりつく。ここからはトレースが良くついており、ラッセルに苦しめられることもなくグングン高度をかせいで、十時半アドヴァンス予定地高千穂平につく。六人用ミード一張を設営、Aパーティーの四名を残し、食糧装備をデポして帰途に就く。

終日の湿った小雪。風はほとんどない。じっと見上げると西俣の灰色を背景に、無数の柔らかそうな白っぽい片々が、無限の空間を通して、天の国からこの大地へ止みなく降りそそいでいるようであった。それは降りそそぐというよりむしろ淡々として沈殿するような、あるいは大地に吸い寄せられるような落下であった。

ノートの端に次のような走り書きがあるが、その時どういうことを考えていたのか明らかではない。あるいは感情だけが意味もなく表れたのかもしれない。

幻想の雪原よ、そなたはねたましい。

ああ、悲しき幻の武者共よ、兵を率いて幻想の雪原にかえれ!

生きとし生けるもの、肉親とともに幻想の雪原にかえれ!

昨日の晴、今日の小雪―ボッカ(荷上げ)は一応順調なり。但し本日のアルバイトには相当まいった。