【前回の記事を読む】人知れず紡いだ彼女との一冬の静かな交流…「29号機と私の物語」

C-46・1129号機と私

戸惑い

さて問題は、このデカイ機体の何処をどうやって直すかである。そのためには、まず何処にどれだけの荷重がかかったのか、つまり、(塑性)変形が発生している可能性のある部位を推定しなければならない。こんな考え方だったと思う。

それからの旬日。呑みにも出かけずに、手持ちの材料力学の教科書や機械便覧などを頼りに負荷荷重の推定などを試みようとしたが、私の知識ではどうしようもないことが判然とするばかりだった。1129号機がまるで化け物のように私に覆いかぶさってくるように感じた。相談できそうな人は身近にはおらず、一人で身の置き所のない不安感にさいなまれ、憔悴しきっていたと思う。

頭を抱え板金ショップでT.O.(修理マニュアル)を広げてボーと座り込んでいた時、ショップ長のW一曹と品質管理班のM一曹が声をかけてくれた。

「結局、元のようにするとですたい」

「外せんところは手前で切って重ねて(鋲打ちして)繋げておけば、ちったあ重かろうもんの強度は落ちまっせんもんね」

九州訛りのこの一言が忘れられない。

全く予想もしなかったアプローチ。私は自分の考え方に拘って、にっちもさっちもいかない所に落ち込んでいたのだと思う。見かねたショップ長等が救いの手を差し伸べてくれたのであろう。

美保基地は朝鮮戦争に際して国連軍が使用し、爆撃機などがここから出撃したという。ショップ長等は、この時期軍属として修理部門で勤務していた。帰投した被弾機には、かなりひどい状況の機体もあったらしい。したがって相当荒っぽい修理なども手掛けた経験を持っていたに違いない。

彼等の提言が、こうした経験に裏打ちされていたことは後で知った。当時は年配者のように感じていたが、多分五十歳前ではなかったかと思う。