【前回の記事を読む】戦火に消えた描きかけのキャンバス…70年越しに描く故郷の景色

鹿島槍への道

二十七日

午前四時半B・Hを出発。ラッセルがほとんどない状態なので計画を変更し、今日で一気に上がってしまうことにする。正午高千穂に着く。小雪は急に激しい風雪に変わり、断続的に全身をたたく。ミトンも凍りがちで、ペグをうめるのも張り綱を引くのももどかしい。

やがてラジウスが心地よい息吹きをはじめ、狭いテントも黄金の御殿と化す。笑いの渦が、テントをたたく吹雪の音もボッカの苦しさも蹴飛ばして、若者の情熱がほとばしる。この日Aパーティーは、稜線直下までトレースしてザイル二本をフィックスしており、一気にアタック態勢に入って意気は上がった。

但し、上は相当の積雪と悪場があり、特に稜線につき上げる最後の壁は雪板―乾燥雪崩の発生が予想され、ラッセルも相当なアルバイトが要求される状態であり、行く手の困難はあらゆるファクターを動員して、僕たちを陽気にはさせなかった。

アタックの決定は二十二時の気象通報による天気図作成まで持ち越され、アタックのAパーティーとサポートのBパーティーは十八時に出発準備を完了して消灯した。気象係と二十二時を待って寝るわけにはいかない。一度寝込むと、目覚時計が用をなさない僕達だ。

天気は型通りの判断を許しはしない。何日か前からの天気図を低圧部の移動を中心に入念に検討しなおす。前線発生の可能性を追い、上層の谷を予想し、西高東低の強さを現在の状態から割り出してゆく。

こうしたとき数限りないファクターを内包する天気の未来を一枚の地上天気図を頼りに判断することの限界を、いまさらのように感ずる。そしてここは二千メートルを超す地点であり、複雑な地形の影響下にある地点だ。

二十二時、冷えないようにトランジスターを抱きながら、ねむけまなこで天気図を作る。日本海の真ん中に低気圧が東進しているが勢力が弱くて、朝鮮に大きくくびれてゆく低圧部を、引っ張って行ってくれそうもない。

一方、東シナ海の高圧部は鳥島方面にどんどん張り出しており、その境目の西郷から釜山にかけた線に前線発生の可能性が予想される。しかし、精力的な要素も見られず気圧傾度も比較的緩くて、ある程度安定した天気が続きそうだ。

輪島以西はだいたい晴れており、発生を予想される前線もそう強いものはできそうではない。十日に一日の晴れしか望めぬといわれる冬の北アだ、という観念が頭にこびりついて離れない。そして、僕たちは、十五時間を超える行動時間を見込まねばならないラッシュをやろうというのだ。