病む母性が好き

私は少々変わっている方の助産師だ。

助産師を目指す人の多くは、母性看護学実習で立ち会った出産に感動して進学し、実際、助産師は出産を中心に活動しているが、私は児童虐待を防止したくて助産師になった。

看護の道に進む決心をしたのは、マザー・テレサの活動に心を打たれたことがきっかけで、進学当初は死の看取りができる看護師になりたい、看護師になってインドに行くつもりでいた。

そして、実は、子どもは苦手だった。子どもは純粋で無垢だから、心を見透かされるようでコワい存在だった。だから、助産師にだけはならないだろうと思っていた。

子どもの看護にハマる

それが、小児看護学実習で子どものケアにハマった。受け持った子どもは七歳の女児Mちゃん。小児肺高血圧症という難病。

当時、その病気で成人まで生きられた例はほとんどない疾患だった。私の看護は、症状改善のため高気圧酸素療法を受けることになったMちゃんを、高圧酸素釜(深海6000みたいなポッド)に入っている一時間半を何とか寝ないで、その中で過ごせるよう、釜の外からマイクを通して語り掛け、遊ぶことだった。

毎日、今日は何をして遊ぶか、飽きさせないように何をしたらいいのかわからず頭を抱えた。子どもと遊ぶ実践、子どもが苦手の人にとっては大変な任務だった。料理が苦手な人が、毎日の献立を考える主婦となったようなものだ。

そんな行き詰った私を助けてくれたのは、友人の保育士の学生だった。子どもが喜ぶ遊び、折り紙、工作、絵本の読み聞かせの方法など、様々な遊びを集中講義してもらった。保育士って子どもと遊ぶプロなんだと感動した。その特訓の成果が実った。Mちゃんとたくさんの絵本を読み、一緒に絵を描き、手遊び、歌、紙芝居など、今まで経験のないことばかりだったが、きっと誰よりも自分が楽しかった。

治療は順調に進み、Mちゃんの頬がピンク色になり、コロコロした可愛い笑い声が聞こえる様になった。実習最後の日、Mちゃんから手作りのプレゼントをもらった。いつ、これを作っていたの? 付き添い入院をしているMちゃんのお母さんから「学生さんには内緒にねって、毎日少しずつ作っていたの」と、渡されたものは、フェルトで作ったミニトマトにお顔がついたマスコットのストラップ。

早速、聴診器に付けさせてもらった。「きっと素敵な看護師さんにれるよ! ありがとうございました」というお手紙も添えられていた。熱いものがこみあげ、涙が止まらなかった。感激だった。

そして、この後何年生きられるかわからない死の不安に、七歳の子が、その母が、懸命に向きあっている姿に、その強さと運命の残酷さに、患者さんの前で泣いてはいけないと思いながらも、お母さんと抱き合って泣いた。そのマスコットのトマトちゃんは、今も、いつもくじけそうになる時、私を支え励ましてくれる大切な宝物だ。

Mちゃんは、今はもう天のどこかで私を見てくれている。そう思うとくじけてはいられないと思える。ここが私の看護人生の原点だ。