巨川が部屋に入り、周りを見回しながら言った。

「夜でも、色がきちんと見えるようにと、思いまして」

松七郎は巨川の目を見ながら言った。

「そいつぁ、有難いな」

その明るい光が、料理を照らした。男が五人、十畳の離れには深川らしい食べ物が並んだ。鯛の煎酒の(なます)、鯛の焼き物、前の海で取れた鰻の小さなかば焼き、今日取れたばかりの沙魚(はぜ)の刺身、芹のひたし、深川浅蜊と豆腐の煮物、大根と里芋を野田の茂木という、亀甲の印の新しい醤油で煮込んだ物などで、大倉屋の寮の新しい料理人の味だった。酒は鈴木春信に聞いた。

「剣菱を!」

春信は下り物の酒を好んだ。酒ばかり飲む春信、絵草子を片手に、その摺りの拙さを声高にいう幸枝。それを冷やかす松五郎と、巨川。他の俳句の連の絵暦のでき不でき、絵師の下絵や紙についての評判、職人の動静、旬の食べ物、あれこれ言い合って、一刻も過ぎた時、大久保巨川は、「さて、仕事の話じゃ」と徐に切り出した。

松七郎はじっと大久保忠舒の顔を見た。赤い顔をした大久保忠舒は軽く腕を組んで、「先ず今度の仕事は、入銀物の絵暦の摺り物を作るのが仕事だ。金主は大倉屋さんの紙問屋、東海屋さん」

巨川は腕を組んだまま、目を瞑った。

「紙問屋は江戸市中にいっぱいあるが、東海屋の奉書紙は、今までになく白い。だから、黒の載りが良い。更に強い、新しい紙だ。このことを客にわかって、更に感じてもらうための絵暦を作る」

巨川は目を開けて、皆を見回しながら、「それ故、絵に使う色は、白と黒、彫は今までにない新しい技を使うこと。摺は紙の強さを見せることじゃな」と一気に言った。

「来年の暦は、十一月に御公儀から示される、大と小を大倉屋内紙問屋東海屋という文字の中に彫る。彫には何日かかります?」

巨川は松五郎の顔を見た。

「へい、屋号だけなら、一日で」

と、松五郎は、手に盃を持ちながら答えた。

「それじゃ、次郎兵衛さん。忙しいだろうが、まだ日にちはある。突然この仕事を割り込ませてしまったが、下絵の案を冬までにお願いしますよ。今までにない趣向でな」

と、巨川は言って、鈴木春信を見た。春信は黙って頷いた。

「ま、そんなとこか」

と言って、大久保は座り直した。