7 日比谷公会堂

太平洋戦争が終わって、戦争の殺伐とした雰囲気から日本が正常さを取り戻した時期に、父の音楽活動も少しずつ旧に復し始めていた。その頃の楽団の名前は忘れたが、かの有名な女優、鰐淵晴子さんのお父上である賢舟氏とカルテットを組んでいた時期があった。

日比谷公会堂での演奏会に行った。当時、ガラス窓は割れたままで楽屋のドアーはうまく閉まらない。室内楽員と家族は楽屋に集まり演奏開始時間を待つことが常であった。鰐淵氏は晴子さんとドイツ人の夫人とが一緒であった。晴子さんはまだ小学校に入る前だと思うが、本当に可愛らしく童話の世界から出てきた女の子という感じで、ただ楽屋の部屋の中で一緒に居るだけで楽しかった。

いよいよ開幕のベルが鳴ると、楽員は緊張した姿で部屋を出た。客席の隅で父達の演奏を聞こうと部屋を出る瞬間夫人から「あなたはこの部屋で留守番をしていて下さいね」とはっきり言われた。当時楽屋泥棒が多かったのである。その時お伽の中の女の子は小さな声で「よろしく」と言い、澄んだ目で会釈をして出ていった。何か救われたような気持ちになった。

今の日比谷公会堂は立派に修復され、美観を誇っている。しかし僕にとっては、あの敗戦後の薄暗い、ガラスの割れた日比谷公会堂が懐かしい。