末吉はそんな報道を耳にする度に、怒りが込み上げるのを抑えることができなかった。朝鮮の人たちは、大国の都合だけで、どれほど悲惨な目に遭っているか。どれほど多くの子どもが、苦しんでいるか。まだ若いアメリカ兵の息子を、激戦地へ強制的に送り込まれる母親の悲哀は、どれほどのものか。

末吉には四人の子どもがいた。しかし、第二次世界大戦後の食糧難で、双子の乳飲み子を亡くしている。ろくな食事をとることができない妻のフミは、赤ん坊に飲ませる乳さえ出なくなってしまったのだった。その結果、二人の赤ん坊は栄養失調からくる衰弱で亡くなったのである。

末吉は、あのとき背を向けて肩を震わし、押し殺すような声で泣いていた二人の母親であるフミの姿を思い出すと、やり場のない怒りが込み上げてくるのだった。

そして、戦争という蛮行を決行した悪魔のような指導者を打ちのめすかのように、今は使わなくなった天秤棒で、あの頑丈な肥桶を割らんとするほど、激しくたたき続けるのだった。

そして、ポロリと一言、

「戦争なんかなければ」

と言って、肥桶用の天秤棒を手から「コトン」と落とすと、真っ白なジャケットの袖で、涙と鼻水をぬぐった。

確かに経済的数値からみれば、景気は高い水準だったかもしれない。しかし、多くの人の死の上に作り上げられた景気を朝鮮特需などと呼んで、『好』景気であり、それを利用し足がかりとして、日本が戦後復興を成し遂げたなどと誇らしげに吹聴するのは、人間として許しがたいことだ。また日本の恥だと末吉は思った。

末吉が、戦争の悲惨さを物語る雑誌の記事として読んだなかに、次のようなものがあった。

横田基地で働くと給料がいいため、当時立川や羽村あたりでプラプラしていた若者はみんな横田基地に駆けつけた。西田の爺さん(当時は兄ちゃん)もその一人で、爺さんは貨物の詰め込みをする班に配属されたが、手当てが増えるのなら掃除でも大工仕事でもなんでもやったので、上役からは重宝されていた。

ある夏の日、西田の爺さんは上役に呼び出され、もうすぐ朝鮮の前線基地から輸送機が飛んでくるから貨物を降ろす仕事をやるように、と命じられた。

しかし、普通、輸送機は物資を戦場に降してカラで飛んで帰ってくるのに、貨物を降ろすなんて変だな……と思ったが、手当が増えるので西田の爺さんは喜んだ。しかし基地で働く古株たちは、

「どうやらアレを積んでくるらしいぞ。ええ~アレかよぉ……」

と何やらざわめき始めた。西田は、

「アレってなんですか?」

と古株の一人に聞くと、

「もうすぐ分かるよ」

と意地悪くはぐらかされた。

【前回の記事を読む】夜の女たちが「あの奥さんには敵わないわ」と脱帽した妻の一言