一ノ三 自動車教習所

私は、高校卒業を真近に控えた頃、特に目指す目的はなかったのですが、同世代の多くの人と同じようにと、自分も、自動車運転免許を取得したいと思うようになりました。教習所に連絡をすると、大変混んでいるので、二、三か月後からの入所になるとのことでした。

仕事が始まってしまうのだけれども、自分ではいたしかたなく、安易に入所を決め、五月頃からの入所になったかと思います。仕事が終わって急いで駆けつけ、学科や実技を受けていきました。入社して間もない時期だったこともあり、仕事も、何日か欠勤扱いになりました。

受講は、たいていが夜間になり、なかなか進みません。卒業検定など、最低限の休まなければならない予定もあり、会社の欠勤もこれ以上増えて迷惑をかけたくありませんでした。私は悩んでいました。明後日は、日中、私の体は空いているのだけれども、土曜、日曜の実技の時間を確保するのは、たいていすでに埋まっていて、厳しいな、現地でキャンセル待ちしたら、空きは出てくるのかもしれないけども、と父と会話というよりは、自分の愚痴のように、話をしていたのだと思います。

私が仕事を終え、家へ帰ると、父が、「あー、遠かったわー、けっこう遠いなー、しんどかったー、行ってきたでー」と言います。

私は“?”となり、「えー、お父ちゃん、行ってくれたんー?あんな所までー、歩いてー? えー、ほんまありがとう、すごいー」父は、なんと歩いて片道、一時間くらいの教習所に出向き、明日の実技の二限分をキャンセル待ちで取得してきてくれたのです。

そのようなキャンセル待ちは、本人でしかできないかと思っていましたし、もちろん頼んで行ってもらうよう、説明はしていなかったので、このときは、ずいぶん驚き、また、非常にありがたく思いました。このときは、父は昼間、家にいて、困っている私をなんとかしてあげたいとの私への強い愛情があったのだと思います。そして、どちらかというと、鬱よりは、“躁”寄りにいた状態だったのかもしれません。それも大きな行動につながったのかもしれません。

教習所の当時の制度を定かには覚えていないのですけれども、今では考えられない超アナログな時代でした。昔と今との違いが、面白くも懐かしく思い出されます。無事に運転免許を取得してから、数十年。私は、車に家族を乗せて大いに活用しています。父が会うことのなかった父の娘婿(私の夫)、父の孫、父のひ孫も乗せ、色々な所へ行くことができています。あいにく、父を乗せてあげることはかないませんでしたね、ごめんなさい。

そして、なんといっても、晩年の私の母。(もちろん、お父ちゃんの妻)私は、母をよく病院や食事など、お出かけに乗せて動くことができました。父の、私が将来、母を助けるようにすべくしての行動だったかと今となって思えば、すごく胸にこみ上げるものがありました。実技の取得は、とても貴重な二限でした。

父は私に、形あるものではない、技術(免許)を、つけるように尽力して残してくれたのだと思いました。私は、その技術、たかが運転免許、されど運転免許かもしれませんが 父が大きく貢献して私に与えてくれたということに、今さらながら感謝の気持ちを抱いたのです。数十年後の今は、当時の二限分の感謝とはまた違った大きな意味での“感謝”ということに気づいたのです。