「トロッコ問題って知っている? 制御が効かなくなったトロッコが、このまま線路を走り続ければ、線路上で作業している五人を轢いてしまう。でも、分岐で進路を切り替えれば、分岐先の線路で作業をしているのは一人だから、その一人が犠牲になる」

よく、心理学の講義で議論されている話だ。

「五人と一人。五人のほうが人数は多いが、その五人の命を助けるために、別の一人を犠牲にしてもいいのだろうか」

どっちを選んでも、ジレンマが残るという話だ。

「命の選別をする正解はないって話だよ。確かに、さっきの現場は多数傷病者とはいえない。傷者はたった三人だ。社会的にというか、道徳的な考えを持ったら、被害者から優先する方が正しいのかもしれない。でも、私は隊長として、重症度の高いと思われる傷病者を優先した。もしかしたら、トリアージっていうのは『正解はない』のかもしれない。だから、自分の判断が『間違っていない』という根拠が必要だ」

救急隊は、プロトコールと呼ばれる救命処置の手順を示したマニュアルに基づいて活動している。その内容は、急病や外傷などの疾患別の対応、多数傷病者や熱中症、中毒などの環境や状況に応じた対応、さらにはトラブルが発生した場合の対処など、多岐にわたる。マニュアルを覚えるのは大変であるが、その基準が救急隊を助けてくれている。隊長判断は、基準に従ったものであった。

「自分が何を根拠にそう判断したのか、自信をもって言うことが出来なければ、傷病者だけでなく自分も救われないだろう」

菅平の話を、舞子と水上は真剣に聞いていた。

「二人とも、将来隊長になった時は、自分が決めた活動方針が傷病者や家族だけでなく、自分の隊員たちにも影響を与えるということを、肝に銘じて活動しなさい」

トリアージは選別を意味し、救急現場では傷病者の優先順位を決めることを意味します。とりわけ多数傷病者が発生した災害現場では、傷病者の数(需要)が救急医療の供給を上回り、一人でも多くの傷病者を救命することを主眼に活動が展開されます。

人の命にかかわることの優先順位を決めるトリアージは、精神的にとても厳しい判断です。だからこそ、客観的な基準が必要となります。

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