(四)結婚観

「貴女がどのように思おうと、すでに貴女への気持は固まってしまっている(貴女を好きだという事です)。貴女の存在は僕の気持の上で非常なウェイトを占めすぎているのです。僕は来年からG大に行く。当然貴女とは別れて行く。その時に僕の気持、貴女の気持がどう変わっていくのか、それを考えると恐ろしくなります。

とに角貴女は最初に会った時の感じそのままの人で、どんどん貴女に魅かれていきます。僕の貴女への接近の仕方が速すぎるので、とまどっているのかもしれませんね。貴女の家の二階の貴女の部屋で、口づけをしようとした時、貴女はさっと逃げてしまいましたね。

あの部屋の戸棚に『Trust in the Lord and......』というような事が書いてある小さな額や、聖母マリアの像がおいてあったので、貴女がカトリック教徒だったという事実を改めて思いました。僕はキリスト教的な考え方は好きではないしよくわからない。仏教は共に泣き、笑い、悩みがあれば禅でいう所の「喝」という気持で一足跳びに抜け出す極めて人間的な宗教だと思うのです。

西洋的なものの考え方には論理的なものの積み重ねという所がありますが、東洋的思考は途中までのプロセスを飛び越えて、悩みから解放へ直線的に行ってしまう。本当はこんな単純なものではないでしょう。貴女のように自己の本能なるものを大切にして、真実なる道だと信じているものに向かって行動するという事はすばらしい事だと思います」(41年12月沖田陽一)